思考とターミノロジー
多様性やら、権利やら、ポリコレやら。いかにも一部の人間が眉を顰めそうなトピックである。これらが重視される流れの中で、色々な「用語」が生まれている。
今となっては当たり前のように使われているものも含め、「フェミニズム」「ルッキズム」「セクハラ」「モラハラ」「LGBTQ」などなど…。これらは、人々が権利や尊厳を大切にしようとしてきた過程の中で生まれた用語たちだ。
さてさて、今日のトピックは、この「用語」です。
今日はとりわけ、最近どんどん多様化し始めているセクシュアリティの「用語」について触れていきたいと思います。
昔は「ゲイ」「レズビアン」くらいしか認知されてなかったのが、今や「クエスチョン」「パンセクシャル」「アセクシャル」「ポリアモリー」「ヘテロ」などなど、用語がたっくさん増えている。これらについて、そもそも知らない人も、何となく知ってはいるけど疑問を抱いてる人もいると思う。
「ぶっちゃけこうした“用語”って必要なの?」
「そんなに重要なの?多すぎて分からない」
実はそう思ってる人多いんじゃない?この疑問について、自分なりに考えてみたのでここにまとめたいと思います。
先に個人的な答えだけ言うと。
「用語は必要だよ」と思う人には必要なくて、「要らないでしょ」と思う人には必要なんじゃないかと。
なぞなぞみたいだ。
さて。
これを考える前に頭の隅に置いておきたいのが、大串が大好きな言語相対仮説、「言語は思考を形成するのか?」ということ。
個人的には、言語構造や語彙は人間の思考に影響こそすれ、私たちは言葉で表せないものを感じることが、知ることが、伝えることができると考える。
しかし、言語と思考、双方の関係を考えるのはやはり重要だ。人が何かを考える上で言語に依存する部分が多いのは確かだと思うから。したがって、言語の一部である「用語」も私たちの思考に少なからず影響してると言える。「名前がついてる」ということは、私たちが何かを知ったり理解するのを手伝ってくれているのだ。
セクシュアリティの用語を見てみよう。全部色々名前がついてて、細かく分けてったらキリがない。それだけ沢山あるし、学べば学ぶほど沢山出てくる。こうした用語も、色々な人がそれぞれのセクシュアリティを理解する助けとなっているのだろう。同時にこれらはきっと、誰かを排斥しないために、誰かを尊重するためにできていった言葉達だ。
特にマイノリティにとって「名前がある」ってのは、この社会において認知されているというか、居場所があるというか、一種の安心感がある。
逆に、既存の言葉に自分とあてはまるものが存在しなかったならどうだろう。人間は言葉に思考を依存しているが故に、自分のありのままをうまく言葉で表せない、若しくは周りから正確に見て貰えない可能性がある。そうしたときに、もし自分にぴったりな言葉があれば、それは本人にとって嬉しいことだ。性自認が誰であろうと、性の対象が誰であろうと、なんであろうと、存在がはっきりと言葉に記されているのだから。
なんだろう、自分の性質が言葉に存在しない感覚って、どう例えたらいいのだろう。
そうだな、自分の名前の漢字が常用漢字じゃない、とかかな…。誰より使う自分の字なのに、学校でもどこでも習わない、みたいな。ちょっと良い表現が出てこないけども…
以前読んだ文献の言葉を借りれば、
"There aren't words for what we do or how we feel so we have to make them up"なのだという。既存の言葉では表現できないから、作らねばならない、と。
更に具体例を挙げれば、1970年代初期に出てきた「ゲイ」という用語。今となっては当たり前のように使われてるけども、かつては彼らの存在や権利を社会に示す上でキーとなる言葉であった。
"the emergence of the label 'gay' in the early 1970s was important in terms of the public expression of homosexuality as a legitimate sexual identity. It established a clear social identity, which offered a previously unavailable sense of security and community, although such categorization may also be seen as restricting and inhibiting"
(There Aren't Words for What We Do or How We Feel So We Have To Make Them Up';Constructing Polyamorous Languages ina Culture of Compulsory Monogamyより)
つまり「ゲイ」という用語が出てきたおかげで、彼等は社会的アイデンティティを確立していったのである。(一方の用語の危険性に関しては最後におまけでぼやく。)
こうした文章からも分かるように、人間は自分たちの存在を証明するために、自分たちを表現できる言葉を創っていく。要は、人間の多様性に並行して言葉も増えていくということだ。
さて、多様性を尊重した結果まるで専門用語かのように様々な呼び方が存在している訳だが、これらの用語の存在は必要か?必要ないか?
正直この論争は水掛け論だと思う。その理由。
それは「細かい呼称なんか必要ない」と思ってる人には呼称の存在が必要であり、
「必要だ」と思ってる人には必要ないからだ。
昔どこかで読んだエッセイに、「ビアンとかゲイとかそういう名前は、今みたいな過渡期は必要だけど、将来はなくなって然るべき」といったような内容を書いている人がいた。全くその通りだと思う。
どういうことかというと、結局多様性に理解ある人は、言葉なんかなくたって「分かる」のである。性に対してあんまり執着しないとか、トランスじゃないけど異性っぽく振る舞いたいとか、同性を好きになるとか、全部言葉にしなくても感覚で分かるから、差別も違和感もそんなにない。いやそんな大層な名前つけんでも何となくわかるやん、って感じ。
しかし、理解のない人はそもそもその「概念」に対して面識が無いため、きちんと明示されないと分からない。目に見える形で概念を認識させることが重要になる。文法用語が英文読解に役立つように、イデオロギーを知らずに政治を論ずることが難しいように、概念や思想といった「目に映らないぼやけたもの」に言葉というレンズを挟むことで、それらが明瞭に認識されるわけだ。
別に概念を知らないこと自体に罪はないし仕方のないことだ。しかし、多様性への理解力が乏しすぎ且つ理解する気もない人間がマジョリティ過ぎるんだよなあ。
だからもし「言葉ありすぎて面倒くさいんだけど」とか「最近そういうの多いよね。ダイバーシティって言うの笑?」とか「~イズムとか嫌いなんだよね」と言われたら、「そうなんですか。てめえらみたいな奴のためにあんだけどな」と言ってよいと思います。
セクシュアリティだけの話ではない。例えば「ルッキズム」という用語。これ、要はざっくり言ってしまうと「人の見た目にとやかく口出すな」である。
容姿にこだわりすぎるな?人を見た目で差別するな?
当たり前である。
しかし、それを今まで各人の良識に委ねていたからこそ、それが当り前じゃない世界が蔓延してしまった。容姿で人を差別しない人はルッキズムなんて言葉がなくとも差別しないのだ。無自覚な人間による差別が、「ルッキズム」という名前を持って初めて顕現する。名前を持って初めて、れっきとした問題として扱われる。言葉にはそうした力があり、我々は自分たちの尊厳のために言葉の力を借りている訳である。
まあ何が言いたいかっていうと、ターミノロジーは軽視されがちだけど実は馬鹿にしちゃいかんのだ、ってこと。異なる価値観の人間間でのコミュニケーションにおいてすごーく有難い存在だったりするので。
多様化する言葉(用語)について、最後ちょっとだけ懸念点に触れたい。
いろいろ名前の重要性について語った訳だが、しかし同時に、多様化する言葉に対して不安も少しあるのよなあ。名前が生まれてくってのは確かに多様性を反映してて良いことなんだけど、同時に危険なことでもあると少し思う。言葉は感覚ほど柔軟じゃ無いから、言葉と言葉の間に漏れた誰かがそれで排斥されて孤独になったり、言葉があるせいで自分を勘違いしたり、バイアスがかかったりしそうで。それに、言葉だけが独り歩きしちゃう恐れもある。
例えば日本における「フェミニスト」って言葉は、ある種ターミノロジーの敗北だと感じている。いつの間にかその言葉がネガティブな意味を纏って広がってしまって、本来その言葉が生まれた目的とは違う方向へ歩いている。
言葉の多様化、それはそれで面白いし、「言葉が生まれる瞬間」ってのはいつだってわくわくが止まらない訳だが、それが誰かを傷つけるものになってはいけないよなと思う。
【おまけ。人間とIDの関係】
用語によって認知されるセクシュアリティ。余談になるが、突き詰めていけば、人間自自身だって似たようなものだと大串は思う。
だって、人はIDがなければ存在できないから。社会的に。
高校の時、なぜidentifyという動詞が基本的に目的語を取るのか不思議だった。だって「自分」てのは勝手にできていくもので、自分のアイデンティティは自分のものじゃないか。なんで独立した自動詞じゃないの?と、思ってたから。
しかし、identityは他者からidentifyされてできるものだと同時に気付いた。私達は、一人だけでは存在できない。
どんなに「自分はここにいるよ」と主張しても、「自分はこういう人間だよ」って叫んでも、自分で思ってるだけでは全てが不確かだ。
周りの人間によって自分が作られていく感覚。
抽象的な存在である「概念」にとっての「言葉」と、「人間」にとっての「ID」ってのは、少し似てる関係性だなと個人的に思う。
他人からの承認や評価に身を委ねるつもりはさらさらないが、それでも自分一人だと自分が分からなくなるのも事実だ。逆に、誰にもなりたくない時は誰とも関わらなくていい。
まあ人間そんなもんなので、結局言えるのは、自分がありたい姿でいさせてくれる人と一緒にいるのが良いよねということだろうか…。
エッセイの終わり方が妙にスピリチュアルになったな…すまん…。
おしまい。
漫画を能動的に読む
どうも大串です。
例年より涼しいとはいえ蒸し暑い日が続きますが、皆さん蒸発せずにお過ごしでしょうか。
え、蒸発してないんですか?
わあ、すごいですね。偉すぎますね。
さて、今回はかなりカジュアルな内容のお話、大串が愛してやまない「漫画」というものについての話を書きたいと思います。不穏なニュースも多く先行き不透明ですからね、完全なる現実逃避です。ふふふ。エッセイは大串の個人的見解なので反論や意見は大歓迎です。自分でもこれは誰宛に書いてる文章なんだ…?という感じですが、自己満かなあ多分。
皆さんは漫画に対してどんなイメージを持っているだろう。
エンターテイメント?趣味?面白いもの?子供が読むもの?不真面目なもの?まあ色々イメージがあると思う。
私の周りは漫画好きな人が多いので、割と良い印象を持ってる方の方が多いのかな。
取り扱うジャンルによっても多少異なってくるとは思うが、本や新聞に比べると読み物としての位置は低めな印象がある。漫画は文字量的にも、子供から大人まで割と簡単に読めるからだろう。
今回は、読み物としての漫画の位が低い理由を「本ほどの情報量が無いと認識されている」ことだと仮定して、漫画の潜在的な面白さを少しだけ掘り下げたい。すなわち、ただ受動的に読んで楽しむのではなく、能動的に、多面的に読んでみたいと思う。
そこで、まず「情報量」について話したい。
先ほど私は「漫画は本と比べれば情報量が少ないと認知されている」と仮定したが、本当にそうだろうか。
ここでいう「情報量」を、文章だと定義した場合は確かにそうだろう。しかし、これを「テキスト」と定義した場合、答えは異なってくる。
「テキスト」が指すのは文章だけではない。テキストとは情報を伝えるもの。何かを意味するものは何でもテキストになりうる。文章をverbal textとするなら、それ以外はnon-verbal textである。
結論から言ってしまえば、漫画においてverbal textは本に比べて随分少ないだろう。しかし、それ以外の部分、絵のタッチ、効果、コマ割り、アングル、文字の配置、フォント、吹き出しの形…といったvisual textが大きく働いている。
両方のテキストから情報を読むという点では、漫画は絵本文学に通じるものがあるなあと感じる。同時に、本と映像の中間にあるんじゃないかな。もちろん漫画はピンからキリまであるし、ジャンルにもよるけど。
visual textを能動的に読み込み、且つそれが漫画という形式で書かれた意味を考えると、もう少し濃い楽しみ方ができるかもしれない。
さて、ではvisual text(長いので以後"絵"と表現する)も含めて、大串の考える漫画の面白さを語っていこう。
【異なるテキストタイプのコンビネーション】
まず一つ目は、絵と文章(以後verbal textは"文章"と表現する)のコンビネーションによって、本にも映画にもできない表現が可能、という点だ。同じコマに収まる絵・文字・効果等の全てが、多面的な情報を同時に表現することを可能にしている。
この「同時」に表現できるというのが肝で、文字を順に追っていく本とも、基本的に文字の無い映像とも異なってくる部分なんじゃないかと思う。
※表現の幅は表現者によるため、本や映像と重複する部分はあると思う。ここでは、漫画において見過ごされがちな文章以外のテキストにフォーカスしたい。したがって漫画の唯一性を主張している訳ではなく、文章以外の部分も含めて見たときの魅力を掘り下げることがあくまで目的であるということに留意してほしい。
さて。
これは絵本文学の内容だけど、二つのテキスト、すなわち絵と文章のコンビネーションにはざっくりタイプがある。
①overlapping : 二つのテキストが同じ情報を伝えている場合
(例 花瓶が割れた絵の横に「花瓶が割れた」って書いてあるイメージ)
②parallel : 二つのテキストが異なる情報を伝えているが、互いに矛盾しない場合。
要は情報の添加。
(例 花瓶が割れた絵の横に「その花瓶は5万円だった」って書いてあるイメージ)
③contradiction : 二つのテキストの伝える情報が矛盾する場合
(例 花瓶が割れた絵の横に「茶碗が割れた」と書いてあるイメージ)
本の挿絵とかは①が多いんじゃないかな。もちろん①は漫画でもよく見るけど、②③の表現は漫画のような絵と文字の同時併用だからこそできることだと思う。
割とふわふわした話ばかりしてしまったから、実際の漫画から例を挙げてみたい。
まず③の分かりやすい例として、大今良時作『不滅のあなたへ』という作品からの場面を紹介する。
いきなり血なまぐさいシーンを載せて申し訳ない。簡単に説明すると、犯罪者ばかりが集まる孤島にある伝統の大会で、殺し合って優勝した人間はあらゆる権限が与えられることを知った男が、娘のために戦って優勝するが、その時にはもう娘の知る優しい父親ではなくなっていた、という場面だ。これは娘目線でモノローグが進んでいくが、文章と絵が矛盾している。二つのテキスト間での不一致、すなわち③のcontradictionや、もはやはっきりとは描かれていない父親の顔によって、娘の動揺や信じたくないという心情を同時に表現することができる。
次に②の具体例。
私の好きな漫画で昭和元禄落語心中というものがあるが、これは落語家を目指す青年と、その師匠の二世代に渡る物語だ。登場人物が落語を演じる場面が何度も出てくる訳だが、そもそも落語は「聞いて見る」ものであって読むものではないため、そもそもなぜ漫画にする意味があるんだろう?という疑問が生まれる。落語の真の魅力を伝えるなら、音と動きがあった方が良いのでは?と。
しかし、ここで重要なのが先ほど言った「多面的な情報を同時に表現できる」という漫画の強みなのだ。
この場面は、落語が大っ好きにも関わらず、自分は女だからという理由で落語の道を選ばなかった娘が、息子の通う幼稚園から落語会を頼まれ、落語家の夫に代わり生まれて初めて人前で寿限無を披露する場面だ。
いつも仏頂面な彼女が本当に生き生きと、歓喜に震えながら、興奮を押し殺しながら、和尚さんや子供を演じている様子が描かれている。観客から見た彼女は、ただ寿限無の登場人物を演じている様にしか見えないだろう。しかし漫画ならば、演じている姿と同時に彼女自身の感情を詳細に描くことができる。
寿限無の話の内容とリズム感も重要だから、寿限無の話を遮って彼女の心情描写をするのは野暮だ。
彼女は寿限無を演じ終えた直後、感動しながら「どうしよ…あたし人前で落語やっちゃったよ…」と小さく漏らす訳だが、読者は彼女の感動を、その台詞よりも前から暗に知ることができているのである。
この写真もそう。これは、男の師匠の葬式翌日に行われた席で、冷え切った客席の中、己の孤独を噛みしめ「死神」を演じている場面。演者の感情、演者の思考、会場の雰囲気、そして一歩俯瞰したモノローグ。これらが同時に1コマや1ページにおさまってるのは、漫画の多面的表現ならではの魅力なんじゃあないかな。
ちょいくどくどと話し過ぎちゃった。
【漫画における場面転換】
面白さ二つ目は、場面転換の柔軟さ。これはテキストの読み込みというよりも漫画における「演出」の魅力って感じ。演出の魅力なんてあげてったらキリがないけど…。
文章で場面を描くには、その場面説明が必要だし、大きく場面が変わった場面はそれを示さなくてはいけないことが多い(一概には言えないが)。しかし漫画なら一瞬で場面転換を表現することができる。スポーツ漫画なんかは分かりやすいけど、試合などをしている人間と外野の人間の描写を、代わる代わる繰り返してもくどくなりにくい。且つ、さっき述べた内容にも重なるけど、「異なる場面でありながらも同時に起きたこと」が表現しやすい。例を見ていこう。
例えばこの場面。鬼滅の刃の16巻、組織の長が身を犠牲にして自分を屋敷ごと爆破させた場面だが、全く別々の場所にいた登場人物たちの一瞬の反応がコマによって細かく区切られ、場面転換が複数起こっている。同じ一瞬の出来事に対して複数の場面と登場人物の反応を描くことができる。いわば「その時○○は…」を一瞬で表現してしまうのだ。
この場面もそう。あんま分かりやすくないけど、ハイキュー!のバレー試合の場面。コート内、観客席の場面転換が1ページに複数回起きている。且つ、コマをボールや吹き出しが跨ることで、コマとコマの間に流れる時間の流れが遅くなり、一瞬の間に起きたできごとであることが分かる。この演出によって、一つの出来事に対して、複数の場所にいる人間が考えていることをほぼ同時に出せる。
【二次元世界における表現の開拓者】
面白さ三つ目。イラストによる表現方法のパイオニア的役割を果たしている所。
そりゃそうじゃんって思ったらごめんなさい。
漫画の中では、人物や物がただ動いている様子が描かれている訳ではない。現実世界には存在しないものや、抽象的概念、実際には目に見えていないが、登場人物達の目を通して見えるイメージなどなど。私達は既存の表現を見ても何とも思わないけど、初めはコロンブスの卵だと思うの。
写実的な世界を超えた、表現の挑戦が漫画には常に存在する。
さらにその表現は、読者にある程度伝わる表現でなければいけない。読者に伝わらない表現や、解釈の幅がありすぎる表現では、絵というテキストに情報の半分を託している漫画としては成立するのが難しい。
特にフィクションの世界。魔法だとか、術だとか、特殊能力とか、架空の生き物とか。こういう存在しないものを物語で創り出す時、本ならば読者の想像に委ねられる部分も大きいが、それを実際に描かないといけない、となると、表現力が問われてくる。
具体例を挙げてみよう。漫画『ナルト』では沢山の忍術が出てくる。その中で、透明になる術を使う忍が出てくる。普通透明って目に見えないものじゃん。でも読者に分かるように描かないといけないじゃん。
そこでその「透明」の表現を、作者の岸本さんは人間の影の部分だけを背景に溶け込ませて描く、という手法を使っている。これに感銘を受け、『ONE PIECE』の作者の尾田さんは、作中に透明人間を出した際に同じ手法を使ったという(岸本斉史×尾田栄一郎"竜虎"頂上対談より)。
別の具体例を挙げてみよう。『宝石の国』という漫画がある。人間の形をした不死身の鉱石達が、彼らを連れ去ろうとする敵に立ち向かうSFファンタジー。冷静に考えて、仮に鉱石を人間の形にできたとして、動かないし、喋らない。材質的に無理だろう。
じゃあ、実際に自然界には存在できない設定の存在をどう描くか?
鉱石としてのキャラクターを描くにあたって、鉱石という設定で単に人間の姿を描けばいいかというと、それでは人間のキャラクターと変わらない。設定がある以上、それを表現しなければならない。
そこまで考えられてたのかは分からないが、作者の市川さんが作ったのは、人間のような動きができる一方で、材質故の「割れる」「硬度が様々」という特性を持たせたキャラクター達であった。
且つ、生物としての人間らしさを排除し、中性的(いや、無性というべきかな。)な見た目に仕上げている。市川さんはインタビューで、"上半身は少年、下半身は少女を意識して描いてます。鉱物の無機質無生殖といった“ないないづくし”を表現するにはいちばん「色っぽい」のではと判断しました。"と述べている。
個人的には、これまでもただの「擬人化」というものは見たことがあるけど、宝石の国はその枠を少し超えた表現なんじゃないかと思う。
それからフィクションに加えて、抽象イメージの表現。
これも漫画というジャンルの挑戦的な部分なのではないだろうか。概念やイメージは言葉で伝えた方が分かりやすかったりするけど、敢えてそれを絵にするってのは結構難しい。だって自分だったらいきなり「兄弟愛ぽい絵」を描いてくれ!とか「戦争の憎しみ」を描いてくれ!とか言われても無理だしな…。逆にピカソレベルだったらゲルニカみたいなの描いてくれるかもしれんが、万人が理解できる訳でもなし。抽象概念を万人に分かるように描くには、共通認識を掘り起こして可視化する作業が必要になる。大串の知ってる漫画だと『マギ』とか『しまなみ誰そ彼』とかそういった表現がうまいと思う。
無限に視覚的表現方法があるわけだが、こうして生み出された中で違和感なく多くの人に受け入れられたものが「再生産」されるようになった時、漫画における共通認識として定着するんだろう。走るときの足のぐるぐるとかさ、含みを持った表情の影とか。そして更にそういった表現の中でも記号的な役割を持つようになったものが、効果線や形喩なんじゃないかな、なんて考えてみる。
私達は登場人物の目にハイライトが入ってなかったらその人物に暗い部分を見出すし、吹き出しの形で声のトーンが分かるし、逆に吹き出しがない文字でもフォントや描かれ方によってそれがモノローグなのか効果音なのか分かるし、枠の外側が黒ければ自然とそれは過去のできごとなんだなと分かる。知らないうちにね、漫画における共通認識が定着していることに気付く。当たり前だけどちょっと面白い。
小タイトルに「表現の開拓者」と書いたが、漫画における表現がなぜそんなに重要だと思うかというと、そうやって表現が生まれていくことによって、漫画だけじゃなくても色んな二次元的な表現の助けになってるんじゃないかなと考えるからだ。本の挿絵で、広告で、説明書の図で…、漫画出身の表現技法を見かけることは少なくない(鶏が先か卵が先かという表現も多いと思うので、必ずしも漫画が先とは限りませんが…)。漫画によって定着した共通認識の表現が漫画以外の所で使われているのを見ると、少しフフフってなる。
漫画を読みながら表現の工夫を探してみると、意外と沢山あるから、盗んでみると良いと思う。
【資料集、教科書としての役割】
漫画の面白さ4つ目。語り始めたらキリがないからこれで最後。
これは100%フィクションの作品には当てはまりづらいけど、割と漫画は「解説」に向いている形式だと思う。特に、その世界を知らない読者への入門として、絵と文章を駆使した説明を可能にする漫画形式は非常に合っている。
具体例をあげよう。例えば『ハイキュー!!』で度々入るルールや状況解説。登場人物やナレーションによって分かりやすく自然に説明が入る。バレーボールを全く知らない人間にとって、解説書から読むのは具体的なイメージがしづらい部分も多いだろう。しかしいきなり試合の映像を見たとして、その秒単位で進む攻防を理解するのが難しい。漫画は動きこそしないが、動いているように見せることができる。且つ、本来流れていく動きの中で、分かりやすい一瞬を描くことができる。要は動画で一番見たいところを止める、ってやつが漫画では常にできる。
それから、『バクマン。』もそう。絵柄、技法、道具…ましてや劇中劇ならぬ漫画中漫画は、漫画で文章と絵の両テキスト二刀流でいってこそ表現の幅が広がる。そうして、読者の知らなかった漫画の裏側の世界を鮮やかに描くことができる。
「入門」として、絵&文章という二つのテキストが補い合っている漫画は有用だと思う。漫画読んだからといってそれを全て理解できたり実践できるわけじゃないけど。
ある特定の漫画が流行った時に、その題材となるスポーツなりゲームなり諸々が流行るのはきっと、今述べた理由もあるのではないかな。もちろん、カメラワークや物語の流れ、台詞遣いといった「魅せる演出」も大きく影響していると思うが。
具体例二つ目。
これは色々例が多すぎるので名前だけいくつか挙げるけれども、「フィクションではあるがある程度事実や史実に基づいた漫画」は資料集としての役割を担っている部分は大きいと思う。いわゆる歴史ものや海外文化を描いたもの、或いは舞台となる地域のリアルな日常に焦点を当てたもの。
こうした漫画は、服装や背景、小道具、使用している言葉、気候、その世界での常識…といったあらゆる文化をしっかりと絵で描写しなくてはいけない。それ故に、本や映像同様、作者はその領域においてかなり知識がないといけない。
例えば百人一首を題材にした漫画『うた恋い。』の巻末には20以上の参考文献が載っているが、内容は勿論装束の細かいところまで、世界観がきっちり創り上げられていて感動する。歴史の教科書に出てくるような位の名前であったり建物や小物の名前が当たり前のように出てきて、常に挿絵が載っている資料集のようだなと少し思う。
繰り返すようだが、自分の知らない世界のものは、文字だけでは具体的に想像しづらいし、物を見せられて「これが○○」と音だけ言われても、文字がないと覚えづらいのだ。両方のテキストによる表現だからこそ、良い。
歴史ものじゃなくても、単なる日常を描いたものでもいい。例えば長崎県五島列島を舞台に書道家の主人公と子供たちの日常を描いた『ばらかもん』、それから実在する特定の場所じゃないけど東京近郊に住む女の子とお父さんの日常を描いた『よつばと!』。どちらも内容はほのぼの系だが、そこの生活描写が鮮やかに、かなり詳細に描かれている。使う言葉とか、そこならではの「あるある」とか。
もちろん、歴史ものにしろ、異文化を扱った作品にしろ、その世界の全てがリアルな訳ではない。漫画をそのまま信じるのは危険だ。
しかし、自分の知らない世界の想像をする上で、色を足してくれるような存在だと思っている。行ったことのない地域の話を漫画で読むのはすごく楽しいし、多分海外の人から見ても、日本の日常を題材にした漫画はありふれた日本を知る良い資料なんじゃないかなと思う。
またくどくどと語ってしまった。正直まだまだ語り足りないが、段々疲れてきたのここまでにしようと思う。
さて。
今回は主に、文章だけをテキストとしてとらえるのではなく、ちりばめられたその他のテキストも含めて漫画を読んだ時の魅力を散々語らせてもらいました。漫画を能動的に読んでみたらどうなるかなって思ったの。
てめえに言われるまでもねえよ!って人がいたらごめんなさい。現実逃避と自己満で書いてる文章なので許してね。
漫画は色々な楽しみ方ができるものだ。流して読むのももちろん良いけど、どうせ読むんだったらvisual textからも美味しい部分を吸い取ってみるといいかもしれない。レベルの高い漫画ほど、観察のし甲斐がある。息をのむような1コマに出会うと、ほんとに嬉しくなっちゃうんだな。
以上!大串の漫画語りでしたー!
留学体験記
どうも大串です。
今回は、2019年8月下旬から2020年3月末までの留学についての記録をまとめます。
所謂キラキラした留学ではないです。ゆるい日常的な話から考察みたいな話まで色々。超超超絶長いので、時間ある方のみ小説だと思って読んでく下さい。(9月の話が異常に多くてあとはトントンって進みます)。
読むの面倒な方はタイトル見て好きな箇所だけ読んでもらえたら。多分途中で「メンタル弱すぎだろこいつ」とイライラさせてしまうかもしれませんがそこは許してください。最初の【基本情報】は留学を視野に入れてる人用に書いたものなので、興味ない人は飛ばして大丈夫です。あとたまに下ネタ(?)とかデリケートな話もあるのでご注意下さい。
【基本情報】
昨年8月下旬より、アメリカのウィスコンシン州にあるUniversity of Wisconsin-Whitewaterへ交換留学に行っていた。ビジネスや教育関係に力を入れているところである。
どでかい土地にどかーんとでかいキャンパスがあって、日々上智の狭いキャンパスで学んでいる者としては衝撃的だった。端っこから端っこまで歩くと多分40分くらいかかる。しかしバリアフリーがとても充実していた。
留学そのものにかかった費用としては、寮費2人部屋1学期分で約$2100(約23万)、ミールプラン1学期分で約$1200、体育館&ジム利用費(任意)1年分で約$100、留学生オリエンテーション費約$170、保険費用約$650(上智でも同様の保険に強制で入らされていたため大学に交渉したが、現地での保険加入はマストだと言われてしまった)で、大体合計前期で$4200、それプラス洗剤とかの必需品代だ。学費は交換留学の制度上、留学先の大学の学費は免除、その代わりにそれまでと同様上智へ納入する形となる。他の場所へ留学していた友人と比較すると上記の寮費等々は安い方らしい。しかしこれだけ多額の費用にも関わらず留学の機会をくれた両親に心から感謝をしたい。
これから話す内容は華やかなものではないが、こうして日本の外で少しでも学べたことを本当に有り難いと思う。
【アメリカに着いてから】
Whitewaterの町は絵に描いたような「アメリカの田舎」だった。延々と広がる畑に低い建物、幅の広い道路。
アメリカ来たぜーって感じ。
着いたた最初の一週間は本当にてんやわんや。留学行くの生まれて初めてだったので、右も左も分からぬ、何なら英語も分からぬ(ダメだろ)、といった感じ。オリエンテーションで大学のシステムや保険の説明受けた時も情報処理追いつかないし。戸惑いつつ留学生の友達を作ろうと励み、時差や土地の感じに慣れようと頑張った一週間であった。
大串の寮は四階建てで、私は四階住み。備え付けのベッドに勉強机と棚がそれぞれ二つずつ。後から知ったが、私たちの寮はキャンパス内で最も狭い部屋の寮だったらしい(なんやねん)。共有のシャワーとトイレが階ごとに4つずつ、ラウンジが一つずつある。
衝撃なことに私の寮に留学生は自分だけであり、アメリカ人は授業開始日直前に入寮となるため、最初の一週間はこの寮にほぼ一人で過ごした。
初めての土地でいきなり一人というのは割と寂しいものがある。日本の友達を恋しく思った。友達作りを励まねばならない。
【オグオグのオトモダチヅクリ】
留学!現地の友達いっぱい!勉強も生活も充実! etc…と
アホな私は漠然と夢を抱いてたのだが、まさか最初の部分でつまずくとは思っていなかった。赤裸々にお話しよう。
私、友達作り苦手なの忘れてた。
誰しもに当てはまる訳ではないが、一般的に現地の学生よりも留学生同士のほうが仲良くなりやすい。お互いの英語も聞き取りやすいし、立場も同じなので話も合う。
最初の留学生オリエンテーションでは、他の国から来た人達と一生懸命コミュニケーションをとった。その努力もあって、オリエンテーション期間は割と人と関われたと思う。
しかし、問題はそのあとだった。
本当にたまたまなのだが、全体的に留学生の年齢層が高かったこと、これが一つ目の問題だった。
そもそも会話の内容が大人だし、いつも大人同士でつるんでいたので、見た目も中身も子供な私はその輪に入りづらい。あと愚痴漫画にも描いたけど、上智大学からの日本人も含めて21歳より下なのが私だけだった(絶対年齢偽装してるだろって奴いたけどな)。
このWhitewaterの田舎町は、大人の娯楽が酒🍷くらいしかなく、したがって週末の夜は皆こぞってバーへ行く。皆でバーに行って話すことでお互い仲良くなったり、友達を増やしたりするのだ。
しかし、残念なことにアメリカの飲酒可能年齢に達していなかったため、大串だけはバーに行けない。こうした理由から、彼ら留学生と仲良くなるのには限界があった。
でも何より問題だったのは多分「大串自身の性格」である。(どーーん)
一言で言ってしまえば、ここの人間のノリについていけない。
コミュニケーション能力が皆無ではないけれど、ただでさえ英語が堪能でない中で、絵に描いたようなパーリーピーポー達と盛り上がる程のエネルギーはなかった。私はAmerican Pop Cultureに明るい訳ではないので、芸能人や洋楽の話もついていくのに必死だったし、大人数のパーティーも苦手だった。
最初こそ頑張ってノリについていこうとしたものの、大串のコミュ力は有限なのですっかりそれを使い切り、心を許せる友達がいっこうにできず、無理~~~となってしまった。
【初めて白人社会に飛び込んだ所感】
日本では圧倒的マジョリティにいる我々だが、その逆の立場を経験できる機会は貴重だ。以前はのんきにそんなことを考えていた。
下調べはしていたので、ウィスコンシン州が白人社会であることはあらかじめ心得ていた。まあ北米の田舎だし、そりゃそうやろという感じではある。しかしながら、そこは予想以上であった。
ウィスコンシン州はドイツ系移民の多い地域だ。約9割が白人。寮全体でもアジア系は私を入れて片手ほどしかいないし、1つの教室にも3人いれば多い方だろう。
日本人に関して言えばほぼゼロだ。知りうる限りでは、キャンパス全体で、自分含む上智からの留学生4人と、後半知り合った日本とアメリカのハーフの青年のみ。いや少数派すぎんか????
そんな中で暮らしていると、やはり視線を感じる。
自分自身に違和感を覚える。
私がたまたま留学前にマジョリティ/マイノリティ性に関して勉強していたこともあって、単に敏感だっただけなのかもしれない。
それでも居心地の悪さというか、異物感というか、いるだけで罪悪感?というか。初めての感覚だったからうまく言えないんだけど。アウトサイダーに対する排他的な雰囲気が確かにあった。トランプが勝利した州ということを考えれば何ら不思議ではないのだが…。(トランプ政権に関しては最後詳しく触れる)。
人種というトピックに関心があろうとなかろうと関係ない。強制的に人種と向き合わされる場所だった。
あとどうでもいいんだけど、ここの人たちは自分の国に異常なほど誇りを持っていて、常にアメリカすごいんやで!!みたいな感じだった。ルームメイトはよく得意げに何かを見せては「日本にはこんなもの無いでしょ!」と話してくるが、大抵はあるし日本舐め過ぎだぞ馬鹿野郎。
(多分だけど、ここの人はそういう教育を受けてるんだと思う。アメリカ人の知り合いで、「大学で世界史関係の授業をとって初めてアメリカの歴史教育の偏りに気付いた」と言って私達留学生から話を聞きたがっている人がいた。)
一つ誤解があったら困るので言及しておきたいが、現地の人々は皆とても友好的だった。いつも元気に挨拶してくれるし、話しかければ楽しく話してくれる。しかし当たり前だが、全ての人がそうではない。そして友好的な人と友好的にふるまう人間は違う。アジア人および日本人への偏見にぶつかることもしょっちゅうだった。
若い世代は特に「差別的行為は悪」だと子供の頃から教育されていることもあり、分かりやすい差別行為をされたことは一度もない。彼らは「差別主義者」というレッテルを貼られることを極端に嫌う。(人種差別問題において、彼らがこのレッテルを恐れた結果招いた新しい問題として、「人種的アイデンティティの無視」がある。その人の人種に基づくアイデンティティや社会的に不利な立場に立たされていることすらも無視して「あなたのことは人種関係なく一人の人間として見ているから」と主張することだ。気になる人は調べてみてくれ)。
主観のもと一般化してしまえば、“表面上”友好的にふるまう人が多かった印象。大串は表面上のみ友好的な人間に遭遇すると、近づきたくないなあと思ってしまう。分かってて仲良くすることもあるけど、「仲良くなるためのコミュニケーション」という労力を惜しんでしまうのだ。我ながらくそだなあ。
寮の人たちも、私が話しかければ少し話してくれたけど、どうせコイツよそモンだろみたいな排他的な雰囲気があった(寮のリーダー的な人はすごく優しかったよ!)。
別にこれは人種とか関係なく、私がコミュ力の乏しい留学生だっただけかもしれないが…。
のちのち話を聞いたが、他のヒスパニック系のクラスメイト達も皆それぞれアメリカでの居心地の悪さを感じていた。だからか分からないけど、基本的に少数派の人々は同じコミュニティで固まっていた印象。アフリカ系の友人は「ここで黒人として生きていくのはめっちゃしんどい」と語ってくれた。他のアジア系の子は、「良い人も沢山いるけど、やっぱりここで生きてくのは精神的に難しいよね」と言ってた。
私が滞在した場所/時期は差別が顕著に表に出ていることはなかった。
しかし、潜在的にある無意識な差別意識や線引きが確実にあった。
そしてご存じのように、こうした意識は今回のコロナ騒ぎや暴動のような状況で水面下から顔を出す。
私の感じた居心地の悪さなんて大したものではないだろう。圧倒的なマジョリティの中でマイノリティとして生きている人たちの本当の気持ちは、きっと留学なんかではわからない。それにアジア系とアフリカ系ではだいぶ見えているものも違うと思う。しかし、想像するきっかけにはなる。後に知ったが、ウィスコンシンは黒人にとって住みにくい州ランキングのトップであった。
【マッチョなルームメイトとの出会い】
初めてルームメイトのロビンに会う。Twitterで色々言ってたので知ってる人も多いかもだけど、すんげーマッチョだった。写真で見てはいたが、でかいし何かもう雰囲気から強い。ものすごいハキハキ喋る。日本人に会うのは初めてらしく、はしゃいでいた。
彼女はキャンパスから45分ほど車で行った所のDeerfieldという町が実家で、その日は彼女の両親も入寮を手伝いに一緒に来ていた。私が限られた荷物で日本から来ていることを承知した上で、二人で使っていいよ、と小さな冷蔵庫と電子レンジ、スタンドライト、鏡などを持って来てくれた。ほぼ使い物にならない寮のキッチンや設備のことを考えると、マジで有難かった。そして本来ならば現地で購入しなければならないような小道具も貸してくれた。
これ以上の感謝はない。ありがとうロビンパパ、ロビンママ。ロビンとその家族は、いい意味でも悪い意味でも裏表がない人達だった。本当にお世話になったし、この恩は忘れない。
【尽きぬ筋肉トーク】
ロビンとの生活が始まって数日が経った。
彼女はウェイトリフティングのガチ勢なので、筋肉の話をめっちゃ聞かされた。彼女曰く女性はホルモン的に筋肉がつきにくいらしく、女性でシックスパックに割れている人を見たらそれは努力と汗の結晶だから敬意を払えと言われた。ちなみに彼女は割れるまであと一歩らしい。お腹をピクピクさせて、割れそうな腹筋を見せてくれた。太ももの筋肉もピクピクさせてくれた。初っ端からクセが強すぎる。
【授業開始】
授業が始まる。己の英語力の無さにへこむ。
前期の授業はSociologyとESL(英語が母国語でない1年生向けの初歩的な授業だが、日本のEFLではなくアメリカのESLを受けてみたかった)、Public Speakingと、そしてアメリカ行ったら絶対に取りたいと考えていたLGBTQ+に関する授業を取った。
基本的に各授業が一週間に二回ずつ、ESLだけ三回だったかな。留学前に履修登録する際過去の先輩の留学レポート等を色々と調べ、どの記録にも前期は特に100-200番台の授業が妥当と記録されてたので、チキンの私はそのレベルから取りたい授業を選んだ(これがのちに自分を苦しめることになる)。
ここの大学はシラバスに載ってる情報がほんとにアホほど少なくて(友達の留学先もそうだったらしい)、履修めっちゃドキドキした。後期になってやっと使いこなせるようになったが、コース閲覧システムを使うのにもコツがいるため、留学前の3月の段階で履修希望を提出させるの意味わからん。
【ロビンの筋肉と引き換えに生まれた勉強難民】
授業が本格始動し、忙しくなり始めたあたりで深刻な問題にぶち当たる。ロビンとの生活スタイルの差だ。
とんだ誤算だった。彼女はアスリートなので、毎晩21時に筋トレをして22時に就寝し、朝7時に起きる。毎日これを崩すことなく守ってたのはもう尊敬でしかないが、問題は彼女の就寝である。
我々の寮は古いので一つの部屋に天井付き電球が一つしかない。つまり、全消灯して真っ暗or全灯の二択しかない。しかし彼女は色々と強いので、困っている私に構うことなく「寝るから電気を消すね!」と言って私が勉強していようが何していようが毎回22時に強制消灯するのである。真っ暗な中で勉強はできないので、ロビンパパが貸してくれたスタンドライトをロビンの迷惑にならない程度に控えめに使っていたが、勉強しづらさが半端なかったし、明らかに視力が落ちた。このマッチョ野郎!!
そこで、様々な策を試みる。
案A:ラウンジで勉強。勉強道具を運ぶ面倒くささを除けばラウンジは良い環境だった。しかし共有スペースなので、大人数でゲームしてる人、テレビ見てる人、なんかピーナッツバターサンド作って食べてる人、と人間が邪魔な場合が多く、割と当たりはずれがあった。。
案B:図書館。これは結構よかった。設備もばっちりだし快適だったし、何より静か。しかし結局、夜に出歩くのが怖くてロビンが寝た後の時間まで図館にいるのは難しかった。現地の夜に慣れた後は使っていたけど。ただ秋から冬にかけて、夜の冷え込みがひどすぎて夜まで籠るのが厳しくなってきた。マイナス何十度の中を夜風に吹かれながら歩き続けるの、しんどいのだ。凍っちゃうよ。
結局、いろいろな策を試してたけど、ロビン就寝後の勉強場所難民大串は日によって場所を変えて勉強していた。比較的夜型な私にとって、夜に快適な勉強場所が確保できないのはかなりのストレスだったと思う。
【9月11日 9.11と真珠湾】
ロビンが朝、神妙な面持ちで話しかけてきた。
なんだろうと思って聞くと、「今日9月11日は、アメリカ人にとって大事な日なの。ワカナは日本人だからちょっと大人しくしてた方がいいかもしれない、皆sensitiveだから…。ほら知ってるでしょ、日本がPearl Harborでやったこと」と言われた。
は?真珠湾攻撃は12月8日だぞ何言ってんだコイツ?という疑問が頭を巡る。
9.11と真珠湾とじゃ年も国も違う。分かったとだけ言って去ったが、後で気になって調べた所、理由は二つの共通点「奇襲」だった。
汚い手口である「奇襲」によって仕掛けられた9.11のテロは、同じく奇襲による真珠湾攻撃と重ねられることが多いのだ。大規模戦争のきっかけでもあるこれらは、同時に想起されることが少なくない。彼らは今でも“Remember Pearl Harbor” なのである。
なるほどという感じではあるが、アメリカに来て一か月も経たない日本人にそういう話をしちゃう神経にちょっと引いた。言われなくても大人しくしてやんよ。
【代名詞】
Twitterに書いたことあるけど、ここの人たちは自己紹介をする際によく自分の望む代名詞を言う。“My pronoun is she/her/her/hers”という感じ。中にはtheyの人もいる。当たり前のように自分たちの在り方を尊重できるのは素敵だと思った。
ちなみに、昨年アメリカの権威ある英語辞典であるMerriam-Webster Dictionaryは、この“they”をgender non-binaryの三人称単数代名詞として新たに追加した。
【車は命 息抜きは正義】
どこに行くにも足がない。
アメリカの田舎は車がないと生きていけない。
しばらく生活して、そんなことに気づき始めた。
スーパーや薬、ファストフード店などは片道30~40分歩けば着くからまあいいが、基本的に生活に必要な最低限のもの以外は車を使わないといけない。つまりこれが何を意味するのかというと、車が無ければ娯楽がないのだ。基本的に友達とNetflixを見るか、キャンパス内にある小さな遊場でボーリング・卓球・ビリヤードを延々とするか、大人はバーに行くことくらいしか娯楽が無かった。キャンパスの中で、上記のことを延々に繰り返す。出かける場所がほぼない。まずキャンパスの外に出るのが難しい。一日に一本、帰りのないバスが出てるだけなのだ。自然を楽しもうにも、キャンパスを出てしばらく行けば一面に続くトウモロコシ畑と大豆畑のみ。
自然と遊んだり、観光したり、外食したり、スーパー以外の場所へ買い物行ったり、というような息抜きがほぼ無い環境に籠り続ける状況というのは、想像以上につまらない。
もはや私の半自粛生活はアメリカから始まっていたのでは?という感じ。
一か月に一回、留学生をキャンパスの外に連れてってくれる遠足的なのがあって、それがどんなに嬉しかったことか。のちに車を持っている友達と仲良くなりたまに外へ連れて行ってくれるようになるが、それまでの私の一番の娯楽はスーパーに行くことであった。
【誤算と妥協。チャンスを無駄にしてないか?】
暇を極めると、人間はひたすら思考を始める。
いや暇じゃないんだけど、勉強しろって感じなんだけど。
私がまずかったのは、勉強以外の時間を自分の無能さと向き合う時間に使ってしまったことだ。良い子のみんなはやめような。大串との約束だ。
当時大串は悩んでいたことがあった。
一つは、本当に留学先がここでよかったのかということ。というのも、留学先を決める時、自分のTOEFLのスコアや能力から判断しアメリカを選び、且つ教育関係が学べたら良いと思ってこの大学を選んだのだが、今の自分の専攻である言語学をもっと学びたい、とその道に目覚め始めたのは留学先が決定した後であった。
言語学をやりたいならイギリスだ。私の留学先には私の望むような言語学コースはない。すなわち自分は留学における重要な選択を間違えたのではないか?そもそも自分は既に妥協に妥協を重ねて進んできている中で、成長などできるのか?留学という親からの投資に対してきちんとした結果を提示できるのか?
そもそも私は大学でも言語を学んでいる人間のくせになぜ第二言語ですらまともに出来ない?アメリカにはトリリンガルやクワドリンガルがうじゃうじゃいる。彼らはその上で別のものを専門に勉強している。その中で私は、言語を専攻しながら碌に言語を扱えていない。
二つ目に悩んでいたことは、自分の取った授業に関してだ。ジェンダーの授業は新しい視点ばかりで本当に面白かった。他にも授業で学んだことは沢山あった。しかし、割と学びたい内容に沿わないものも多く、ビビらずにもっと広い選択肢で、もっと高いレベルの授業にチャレンジすることを何故しなかった?とかつての弱腰な自分をなじった。
まあ多分、「何かを成し遂げないといけない」という思いが強すぎて、結果を急いでたんだろう。
自分が勉強してることが自分の進む勉学の道において役立つのか?勉強自体は無駄にはならないが、本来ならもっと上へ行けるはずのチャンスを無駄にしているのではないか?私はまた間違った選択をしたんだろうか?と自問自答を繰り返してるうちに、よくわからなくなってきてしまった。
【9月某日】
ロビンパパが私の果物好きを聞いて、プラムやネクタリンを数種類ずつと、ブドウやりんごを持って来てくれた。ウィスコンシンは乳製品の産業が盛んだが、リンゴも多く育てているらしい。大きなスーパーへ行くと沢山の種類のリンゴが並んでいる。Pink Ladyという名前のリンゴの見た目が可愛すぎて一目ぼれした。味はGala Appleが一番好きだった。日本のFUJIもあったよ。
【ご近所さんの情事】
夕方頃ロビンと部屋で勉強していたら、隣の部屋からベッドのめっちゃ軋む音と女性のでかい喘ぎ声が聞こえてきて、とてもきまずい雰囲気になる。
頼むからよそでやってくれと思ったが、そもそもこの人たちここしか場所無いんだな…と思った。その後、あれ?そういや隣に住んでたのは化学大好き少年エグゼイビヤ君とデビッド君だったよな。恋人でも連れ込んでるんだろうか?と思いそれとなくロビンに聞いてみた。すると、どうやら恋人を連れ込んでるのは隣の隣の部屋らしい。ふつうにお隣二人とも被害者だった。疑ってごめん。
寮の壁、薄いせいでこういう感じの聞きたくない音よく聞こえるんだけど、せめてエロイことするなら静かにやってください!!
【能ある鷹は爪を隠してくれ】
ロビンは奨学金を貰うくらい優秀な子だ。且つ自信家だ。
自信に繋がるだけの努力をしているからなのだが、それにしても超がつくほどの自信家だ。
彼女の専攻はBiochemistryで、なんかもう理系ということでまずめっちゃマウントを取られる。そして毎日のように「今日のテストは満点だった」とか「期限は来週だが○○の課題を既に今日終わらせてしまった」とか大串に報告してくるのだ。小学生?
たまに「今この複雑な計算式を20分間も解いている!こんなに長くなった」とか言って見せてくるんだけど、流石に面白すぎるのでやめてもらいたい。
最初のうちはホエースゴイネ!!とか言ってたんだけど、割と彼女の自信にあふれた発言達が精神に来るのである。特に自分が自己嫌悪に陥ってるときとか追い詰められてるとき。死にたくなってるときに「課題を二つも終わらせたぞ!」とか言われるとなんかもうこんなにすごい人がいるのに自分ときたら、という分かりやすい沼にはまりやすいので厳しいものがある。ロビン、能ある鷹は爪を隠そうな。
【ごはんについて】
ごはんが!!!
おいしく!!ないんですよ!!!!
そう、食べるの大好きマン大串がアメリカでぶつかった壁の一つが、「食」だ。
基本的にここの学生はみんなミールプランに入って、学食や校内カフェで朝昼晩を食べる。しかし何が問題って、まっずい。
いやなんかね、美味しい美味しくないとかの次元じゃないの。味濃すぎて食べられなかったり、米固すぎて噛めなかったり、油ギトギト過ぎて食べられなかったり。なんていうかここの食事は「食べる」というより「生きるためのカロリーをとる」って感じだった。食事を楽しむって知ってる!?!?と言いたくなる。いや普通なのもあるんだけど(ジャンクフードは普通にうまい)、そうじゃないやつもいっぱいあるの。
ここで他の留学生が放ったセリフをそのまま載せておこう。
「あいつらアメリカ人の味覚は二つしかない。“甘い”と“塩辛い”だ!!!!!!」
まあ普通にミールプランを利用してはいたが、割と揚げ物ばかりで、お腹に優しいものってあんまりなかった。寝不足の時に油っぽいもの食べると吐く人間なので、けっこうきつかった。日本が恋しいよう。
【人の悪口、聞きたくないんだよな】
友達作りには相変わらず難儀していたのだが、ほんの少しだけ友達らしきものができた。
しかし、彼等に関して困っていたことがある。最初の方で差別に関して触れたが、人種に限らず、セクシュアリティや性格など、割と差別的な発言をする友人がちらほらいたのだ。すぐに「あいつは○○だから嫌い」と決めつけてしまう友人もいたし。
そのたびにできる範囲で「人には色んな面があるから、仮にその一面が嫌でもその面一つだけで相手を嫌いになっちゃうのはtoo judgmentalじゃないか?」だとか「思ってるだけなら良いが、それを口に出したらあかん」と伝えてきた。これが大串なりの彼らに対するせいいっぱいの誠意だったと思う。
でもやはり人が批判されているのを聞くのは気持ちが悪いし、それが友達だったならなおさらだ。悪口が悪いのって、口に出しちゃうからだよな。
【深刻なみかん不足】
Whitewaterには美味しいオレンジやみかんがないことを知る。
どこで買っても美味しい柑橘に出会えない。深夜、日本のみかんが食べたすぎてみかんシックに陥る。日本でシーズンを迎える極早生に思いをはせ、同期がくれたみかんフレグランスオイルを使う。若々しい極早生の香りに包まれ、みかん食べたすぎて涙を流す。それまではさ、つらい時はみかんがあったんだよ。みかん食べて色々乗り越えてきてたんだよ。でもないの。ないんだよ…。
みかん恋しすぎて泣いたの人類史上私が初めてな気がする。
この頃、みかんが自分の中で概念と化し始める。
【日本は同性婚をいいかげん合法にすべき、しろ】
アメリカ人の友人A君がある日突然、こっそりカミングアウトをしてくれた。
自分はトランスの女の子と付き合っていて、結婚を考えているんだと。
え!どんな子どんな子?とねだると照れくさそうに写真を見せてくれたが、ふわふわの髪が特徴の優しそうな人だった。「笑顔が素敵な彼女さんだな!この幸せ者~」とからかったら、嬉しそうな顔で他の写真も見せてくれた。
詳細は省くが、彼女さんは今台湾から日本に留学中で、将来も日本で働く予定らしい。彼も一緒に移住して長期で働くには、結婚してビザを得ないといけない。しかし日本で同性婚が認められれない限りそれが難しい、という状況に陥っていた。だから日本の同性婚に関する情報を追っているんだとか。二人が早く結婚できる社会にしないと、と思った。
【サークルやインターンも大事だが】
同じ上智から来た留学生の日本人とキャンパスで遭遇し、しばらく話した。基本的に日本人は性格もバラバラだし寮も全員違うため、会う機会が少ない。久しぶりに日本人と話せてほっこりした。そんな時、たまたま大学の話になって、大学外での活動に関しての彼女の価値観が自分と違っていることに気付く。
「大学はさ、大学での勉強よりも、大学の外で何を頑張るかが大事なんだよ。サークルとかインターンとか」と言われて、意味もなく虚しくなってしまった。
留学行かせて貰ってる身分でそれ言うのもどうかと思ったし、大学での勉強を大切にしたい自分としてはうーーん???と感じる一方、でも彼女は自分より英語もできるし、他の言語の知識も豊富だし、他の国への留学経験もある。高いコミュニケーション能力も持ち合わせてる。大学での学問を重視しながらも学問のできない大串とはなんだ?とまた虚しくなってしまった。
【同居人のラブロマンス】
ある日ロビンが友達以上恋人未満の男の子を部屋に連れてくる。
まずな、いきなり連れてくるんじゃない。
女子ならまだしも、下着干してあったりプライベートなもの置いてある空間に突然部外者男子を入れるんじゃない。
そう心の中で叫びつつ二人を横目に私は椅子の上で本を読んでいた。ただでさえ狭い部屋の真ん中で談笑されると非常に邪魔だったが、全ては仕方のないことだ。ロビンの恋路を邪魔するほど私は野暮じゃない。
まあ実はこういうことがその後何度も続いて、最終的に二人は付き合うんですが、大串はよく我慢したと思う。えらいぞ大串!
【言語の多様性】
さっきも触れたけど、やはりここはマルチリンガルが多い。ただ、この「言語の多様性」の背後には、力関係が存在したりする。
どういうことかというと、どんなにアメリカが移民国家であるとしても、当然やっぱ“English”が強いのである。
かつて、英語圏以外から移ってきた人々が白人/英語が権威を持つ社会になじむには、まずもって言語を同化しなければならなかった。
具体的な話をすると、ここウィスコンシンはドイツ系移民の多い場所、つまり既に優位の立場を確立していた「白人」と見た目は同じであり、異なるのは言語だけ。見た目は同じなんだから、言語を同化し、アクセントを同化すれば、社会に溶け込むことができる。このような理由で母語を自ら手放し英語に迎合した先人は少なくない。
こうした親や祖父母世代の同化、Language Assimilationは、当然次世代の子供たちに影響を与えた。同年代の中で、「祖父母はドイツ語喋れるけど親と自分は少ししか喋れない」とか「かつては親がスペイン語を話していたらしいが今はあまり話せなくなってしまった」という例を色々聞いた。
しかし一方で、「学校に行っている自分は英語を話せるが家族は誰も話せない」というケースも当然たくさんある。様々な理由で英語を思うように学べなかった親/祖父母世代で、そういう人たちはEnglish-dominantの社会で不利な立場となる。
このように、アメリカのマルチリンガル達の背景には、社会言語的なパワーダイナミクスが存在しがちなのである。
ちなみに最近のアメリカの英語教育の流れは、母語も英語もしっかり伸ばしていこう、という新しいバイリンガル教育の形へと歩み始めている。
【他人の惚気】
日本人の友人やその他留学生たちとガールズトークをし、その時色々みんなの惚気を聞いた。
長期休みに恋人が遊びに来る予定の人、週1で必ず恋人と電話してる人、3日に一回は電話してる人、恋人からはがきや小さな贈り物が届いたという人など色々いたが、なんというか正直な所、そこまで仲良しな訳ではない人の惚気を聞いてもそんなに楽しくないのだなあと思った(失礼)。よく知ってる人の話す惚気だから聞きたいんであって。
しかしまあ、彼女たちの話を聞いていても、気持ちを伝えるのって大事だなと思った。
恋人だけに限らず、親でも兄弟でも友達でも、離れているとお互いに分からないことが出てくるからこそ、しっかり気持ちを伝えないといけない。
大串はほぼ一か月間母親以外と電話をしていなかったので、大切な人達に電話したいと思った。何か贈るのもいいかもしれない。大串を感じられるものって何だろうと考えた時、時間はかかるけど、絵なら気持ちが思う存分込められるぞと思った。
そうだ、絵やはがきを大切な人たちに送ろう。そう思い立って、その週末はスーパーへ封筒とはがきを数枚買いに行った。
【リヴァイ兵長が見たら殺されるであろう生活環境の汚さ】
ここのアメリカ人は、「清潔」に対しての価値観がアホほど違う。
いやもうはっきり言って汚い。やばい。
公共の場所やものをきれいに使おうという意識が全くない。
常に食堂の床にはソースや食べ物がベチャッと落ちてるし、寮のエレベーターと会階段も週3でジュースかポテトが散乱してるし、公共のパソコンのキーボードは常に油でギトギト。トイレも水場もしょちゅう汚れてる。これ掃除担当の人がたまに綺麗にしてくれてるからいいものの、お前らは自分で清潔を保とうとする気がないんか????
大串別に潔癖症じゃないのに、汚すぎていつもウェットティッシュ持ち歩いてたんだぜ。
これは部屋に関してもそう。外から帰って来た靴で部屋の中を歩いたり、部屋の中で食べたもののごみが床に落ちたりするので定期的に床を掃除したい大串と、一切しないロビン。ロビンはその汚い床を歩いた足で私の布団の上を踏んで二段ベッドの上に上がるもんだから、毎晩発狂しそうだった。
もはや気にしたら負けだ。ハエがうじゃうじゃわこうが、部屋のゴミ箱からごみが溢れ出して床に散らばろうがごみ捨てや掃除に対して無関心なロビンは、多分現地の人から見れば当たり前の感覚なんだろう。しかし彼女は整理整頓はしっかりする人で、dirtyだけどneat&tidyであった。大串は逆にcleanさは重視するけどmessyであった。もしかしたら同じように思われていたのかもしれない。
【ごめんな、Aくん】
この日は珍しくキャンパスの外へ行き、留学生&現地の友人と遊んだ。
その帰り道、日本人の友人Bちゃんと二人になった。その際ふと突然、前に触れたA君(カミングアウトしてくれた子)の話になった。
そしたら笑いながら「そういやさ、なんかA君って変だよね、ちょっと普通じゃないっていうか」と謎の合意を求められた。いきなりなんやねんお前。
こういう場面での「変」だとか「普通じゃない」という言葉が良い意味で使われていないことは分かる。愛や敬意を込めた「変」の使い方とは違った。
うーん。
彼女は私に対しても「わかなちゃんって変だよね」とか言ってくる子だったが、自分に言われるのと友人に言われるのとでは全く違う。友人を悪く言われることは正直屈辱的であった。
彼女が意味する「変」が彼の性格についてなのか、セクシュアリティ的なことなのか分からなかったが、大串と同様LGBTQ+に関する授業を取り、個性的なクラスメイトと共に色んな多様性(セクシュアリティに限らず)を学んでいてなお、こんな発言が出ることにやや衝撃を受けた。
加えて彼女が自身を「普通」な存在として疑いもせず、自分と少し違うだけで「変」と呼んでしまう不気味さ。何故かこの日は豆腐メンタルだったせいかショックが強くて、曖昧な返事をして話題を変えてしまった。
その後帰宅した後なんかよく分かんなくなって悔し泣きをした。父に昔「お前は人に嫌われる変な子だ」と言われてきた古傷が開いたというか、言われたことない奴は言われた側の気持ちなんか分からねーだろうし気楽でいいよなバー――カ!!というか。
普段彼女はすごく優しい良い子なのだけど、友人を悪く(彼女的には悪いとさえ思ってないと思うが)言われて悔しかった。なんであの時曖昧な返事じゃなくて、ちゃんと指摘しなかったんだろうと後々になって落ち込む。豆腐(絹)メンタル~
【大串がグレた日】
お気付きかもしれないが、大串、アメリカに来て1か月程でメンタルがだいぶやられる。
自分をある程度強い人間だと思ってたんだけど。
慣れぬ環境下で気の許せる友人は全然できず、寮での孤独や排他的な白人社会で肩身の狭い思いをし、学問でもその他の生活でも自分の無能さに落ち込み、ルームメイトの生活スタイルに振り回され、美味しい食事はなく、清潔感覚の違いに苦しめられ、友人は差別的な発言を繰り返すし、みかんは無い。みかんが無いんだよ!!!!!!
多分ね、敏感でいようとし過ぎたんだろう。
教師を目指す上で、コミュニティ内におけるマジョリティ/マイノリティ性などのパワーダイナミクスには敏感でありたかったし、多様性に関して視野の開けた人間でありたかった。同時にアメリカの抱える闇の部分にもしっかり目を向けたかった。
大串なりに周囲に誠意を持って向き合い、且つ自分の正義を貫いてきたが、そうしてるうちに滅入ってしまった。
人前で泣くの嫌いなので、この頃はしんどくなるとよく寮の裏の草原で時間を過ごした。
ここは基本的に人がいない。ただ延々と草原が広がっている場所に一つだけベンチが置いてある。悲しくなったときはいつもここに来て音楽を聴いていた。大串こんな弱かったっけ??と不思議に思いながら。
そんな中、親から電話がかかってきて、おばあちゃんが死んだ、と知らされた。
ぷつん。張りつめていた何かが自分の中で切れた感覚。いや、そんなクラムボンは死んだよ的な感じで言われても。
出国前に会いに行ったときは元気だったのに、何が起こるか分からんなあ。皆も長期でどっか行くときはきちんと覚悟しとくんだよ!
父方の祖父母は家族の中で最も家族らしく私に接してくれる人だったので、よくなついていた。大好きであった。昔大串が病気した時も唯一腫れ物扱いしなかった本当に優しい人達。
私の名前「和佳奈」の頭文字は、おばあちゃんの「和子」から一文字貰ったものだ。
令和になった時、「新年号見ました?和子の和ですね!」と言ったら、「和佳奈の和でもあるよ」と笑ってくれた。でもおばあちゃんは令和を半年も生きられなかったな。
せっかくおそろいなのに。
どうやら、私がアメリカに到着後、「無事着きました!」という報告をおばあちゃんに電話でしたのだけど、それを聞いて安心しちゃって気が抜けたのか、その後急に危篤状態になって、何日もその状態のままで結局最後亡くなったのだと。つまり一番最後におばあちゃんと会話をしたのは大串だった。
おじいちゃんから、「とてもさびしいです」という拙いメールが届いた。今すぐこんな所抜け出しておじいちゃんに会いに行きたくなってしまった。
おじいちゃんは、おばあちゃんが大大大好きだった。だから、最後におばあちゃんと会話をするのはおじいちゃんでないといけなかったのに。そもそも私が電話しなければもう少し長生きできたかもしれないのに。悲しさと申し訳なさとで頭が痛かった。
誰かと悲しみを分け合いたかったけど、親は「悲しいのは分かる。でもお墓行くのとかは帰国してからすれば良いから、今は勉強に集中しなさい」とか言うし、こんなこと話せる友達おらんし、おじいちゃんは耳悪いから電話できんし。
というわけでこの日も草原へ向かい、ベンチに腰掛け、ヨルシカのパレードを聴いた。
この日を境に、何か全てがどうでもよくなった。
色々なことに敏感であるが故にメンタルがやられてしまうなら、鈍感になればいいのである。
アメリカの理不尽にも目をつぶればいい。人が差別していようが、人が悪口を言っていようが、無視してしまえばいいのである。迎合してしまえばいいのである。価値観の違いに苦しむなら、相手に合わせる必要もない。どうせ無能なら、あがくこともない。
何かの歌に、「心より大事ななにかが あってたまるものか」という歌詞がある。
メンタルが壊れてしまうくらいなら、自分の正義などどうでもよい。いやまあこんな格好つけて言うような大それたことじゃないけども。
祖母のこともかなり長いこと引きずって、やっぱ葬式って気持ちの切り替え的にも大事なんだなと知った。
日本の友達にも相談できず一人でグレていた。くっそ長い1か月であった。たまたま運が悪かっただけだとは思う。早く日本に帰りたかった。
しかしこの後
大串、動きます。
【巻き返し】
いやだめだろ、とある日ひとりごつ。
自暴自棄になっても結局また別にしんどいことが起きるだけだった。
こんなんだめだろ、と途中で冷静になる。
ただでさえ無能な人間が、前に進む努力を、視野を広げる努力を怠ってどうするよ。人を傷つけてどうするよ。
(ハイキュー!より)
だいたいね!10か月しかない留学で自暴自棄になってる場合じゃないよ大串。ばあちゃんに合わせる顔がないだろ。
これまでの悩みごとがなくなるわけじゃない。でも、人に頼ること、ため込まずに人に話すことを徹底した。それだけでだいぶ変わったように思う。
そして、マジョリティからの圧に肩身の狭い思いをしている仲間を見つけた。これも結構大事。
それから、留学後半になってからだけど、人間関係に関しては妥協をすることも大切だと知った。表面上だけでもいい。自分から人に関わりに行って、ゴリゴリに友達を作る。苦手なパーティーにも行って沢山人と話す。そうしてるうちに、人脈が広がって気の許せる友人も見つけられる。
そうして見つけた友人たちに、このアメリカでの生活の乗り越え方を教わった。自分の正義に反するものと出会った時、自分の意見を伝え続けることも彼等から学んだ。
少年漫画のように急に強くなったりはできない。しかし、大串はゆっくり少しずつ、ほんの少しだけど強く変われたんじゃないかなあと思う。多分。
祖母のことも少しずつ受け入れ始めた。きっと今頃自分の育った北朝鮮にでも遊びに行ってるんじゃないかなあ~(彼女はピョンヤンの近くで育った)と考えたら、まあおばあちゃんも楽しくやってるなら問題ないよなと思えるようになった。
【10月某日】
ここのアメリカ人は乳製品が大好きだ。スーパーの乳製品コーナーの充実度が半端ない。なんならコロナ騒ぎでスーパーから一番に姿を消したのはチーズかもしれん。
この日はロビンと一緒にスーパーへ行き、5種類くらいのチーズとクラッカーを買って家で食べ比べをした。この土地の料理はくそまずいが、チーズはとても美味しい。チーズを頬張る私を写真に撮って、「Wakana's first time eating cheese, she loved it.」という投稿をSNSに載せていた。今まで私がチーズ食べたことないみたいな書き方で笑った。
【アメリカにおける性的マイノリティの扱いへの疑問が解けた日】
この日、ずっと疑問だったことがジェンダーの授業でやっと分かった。
アメリカってさ、セクシュアリティに関しても「自由」「権利」のイメージが強いじゃない?プライドパレードとかすごい規模だし。
でも授業で性的マイノリティの歴史をさらうと、弾圧の残虐性がえげつないし、そもそも存在を全然理解されてない。それが不思議だった。
結論から言うと、アメリカは最初からセクシュアリティに関して全くもって自由な国なんかじゃなかったのである。なぜか。
初期にアメリカへ移住してきたのが、ピューリタンの人間だったからだ。
めっちゃ雑にまとめると。、7世紀頃、当時ヨーロッパでは比較的性の多様性に関して人々が寛容になりつつあった。芸術の世界においても、いわゆる一部の人間が嫌うcross dressing(異性装)も普通にあったし。そんな中で、そうした多様性を最後まで認められなかったのが、厳格さの代名詞であるピューリタンの人々であった。彼らはアメリカ大陸へ自分たちの厳格な「特定の性のあり方」を持ち込み、教育し、正当化していく。アメリカにおいて性的マイノリティへの弾圧は、割と根強い問題であった。
【遠足と憧れの背中バンバン】
ある日、遠足でお隣のミネソタ州のミネアポリスへ行った(今とんでもないことになってる場所です)。
Mall of Americaっていう有名な超でかいモール(室内に遊園地が入ってる)へ行って、タピオカ屋があって感激したので飲んだ。この遠足で結構友達ができた気がする。
よく話すようになったTakaraって女の子がいるんだけど、いつも服装も髪もボーイッシュなのに甘いもの大好きで超かわいかった(写真の一番右)。シナモンロールが一番の好物。Takaraって日本語だとtreasureって意味なんだよって教えたら照れてた。
そして遠足後解散するとき、仲良くなった黒人の友達が“Hey Bro!!”って背中をバンバン叩いてくれたのがめっちゃ嬉しかった。大串実は彼らの「俺たち家族!」って感じにずっと憧れてたから、なんかこう……ブラザーとして認めて貰えた感があって個人的に超嬉しかった。
調子乗って次の日違う友人にヘイブラザー!って言ったらキャラ変したの?って聞かれた。
【The most spooky thing on Halloween】
10月に入ったあたりから、急に寒くなった。
え、10月でこの寒さ?大串生きていける??
とやや危機感を覚え始める。友人曰く、どうやら異常気象で寒くなるのが例年より少し早いらしい。
そしてハロウィンの日、大雪が降った。
朝起きて、一面に広がる銀世界に頭が混乱。いや寒いのは覚悟してたけどここまで!?という感じ。
皆が「今年のハロウィンで一番気味が悪いのはこの雪だな」と話していた。
いや、そんなことは全くない。ロビン達に見せられたホラー映画の方がよっぽど気味悪かったです。しばらく夜シャワー浴びられなくなりました。もう二度とホラー見ません。
(これは数少ない大串の地鶏)
【草原で出会った不思議なおばあさん】
この日は色々あってひどく落ち込んでいる日だった。
夕方、授業が終わって一人トボトボ寮に向かって歩きながら、うぅ、今日はもうやるべきことだけ済ませて、さっさと寝てしまおう…。そう考えた。すると、寮の前まで来たあたりで一通のメッセージが届く✉。なにかと思って見たら、ロビンからだった。
「今日〇〇君が部屋に来る。とても大事な話をするから、しばらく部屋には入ってこないで欲しい。よろしく」
今じゃない、ロビン。今じゃないよ。
タイミングよ。
君の部屋は私の部屋でもあるんだよ。唯一のプライベートスペースなんだよ。
返事する気すら起きず、大串は寮に入ろうとしていた足の向きを変えて、そのまま例の草原へ向かった。もういいや。ロビンの用事いつまでかかるか分らんし、暗くなるまでここにいよう。
そう思って歩いてると、普段なら誰もいない草原に一人おばあさんが歩いていた。
少し警戒して距離を取っていたら、近づいてきて話しかけられた。怪しい人じゃないと分かったのでしばらく二人で散歩をした。どうやらニューヨークから引っ越してきたらしい。観光地のおすすめ等を教えてくれた。
そして私が日本からの留学生であることを知ると、愚痴など一言も言ってないのに、大串の悩みごとを見透かすかのようにこう言った。
「日本人なの、それじゃ大変だったわね。ここの人たちはあなた達に親切じゃないでしょう?」
ちょっと驚いた。そんなことを気にしてくれる人がいるとは。
そして彼女は、ニューヨークに住んでいた頃会ったというある一人の日本人女子高校生の話をしてくれた。「ハナって子なんだけど、彼女も高校の時に白人社会の中ですごく苦しんで苦労していたわ。今はもう立派に働いているみたいだけどね」
その後しばらく話をしてから別れた。すごく素敵なおばあさんだった。大串しょっちゅうこの草原で散歩してたけど、彼女にあったのはこれ一回キリだ。
現実は小説より奇なり。私は偶然会ったこの不思議なおばあさんと、会ったこともないハナさんに励まされてしまった。
【Thanksgiving Day】
11月第四木曜日、アメリカの一大イベントと呼んでもいい「感謝祭」の連休があった。
教科書とかにのってる様子そのまんま。家族が一堂に会してご飯を食べ、その後ゲームなどをしたり談笑して過ごす。ターキー、インゲン豆、マッシュポテトにパンプキンパイ。私はロビンの家族に紛れて参加させてもらったが、この一族、皆でかくてビビッてしまった。謎のラップを作るゲームに参加させられ、訳も分からずscratchとspinachで韻を踏んだ(どうでもいい)。
そして翌日の金曜日はブラックフライデーである。この日はあらゆる店で大セールが行われるため、朝6時とかから店の前で開店を待つ人も多い。全力過ぎである。
この期間、町(といっても小規模だが)はカボチャや七面鳥、トウモロコシなどの装飾で賑やかになる。そしてこれが終わると今度はクリスマスがやってくる。
【中国語とインドネシア語】
仲良くなった中国人の女の子イヴァが中国語を教えてくれたんだけど、あれ難しすぎない???
発音の時点で難しすぎて早々にギブアップしてしまった。中国語学んでる人すごいよ。漢字から意味わかっても声に出せないもん。でもイヴァは教えるのすごく上手で、分からない漢字が出てくる度に熟語の例をポンポン出してくれた。先生になって欲しい。彼女は日本の学校文化(?)が好きで、女子高生の学校風景動画みたいなの見せたら大喜びだった。制服が良いんだって。
それから、別の日に隣町にある日本の鉄板焼きのお店へ行った。そこのオーナーは中国人なんだけど、働いてる人全員インドネシア人で、出てくる料理は中華料理風という、日本要素ゼロなお店。いちおうSushiとかもある。
そこで昔英語教師をやってたというインドネシア人ウェイターのおばさんと会い、色々話を聞いて仲良くなる。少しインドネシア語を教えてもらい、遊び程度に勉強を始めた。
【あだ名 Orange】
私のあだ名「Orange」が割と定着し出す。別にアメリカではみかん変態さをそこまで出してなかったハズ。多分。
友達にある日「ワカナの画像フォルダはオレンジばっかりだね、なんでオレンジはそんなに種類が沢山あるの?」と聞かれる。
「愚問だな… それは車になぜ種類が沢山あるの?と同義だぜ…」と答えたら
「それは確かに愚問だ…」と納得していた。
【期末テスト】
ちょうど期末の一週間前にパソコンがぶっ壊れて、コンピューター室のパソコンでレポートを書き上げる。データクラウドに上げといて良かった…と心から安堵。テストよりレポートが多かったが割とすんなり終わった。
【クリスマス】
冬休みに突入する。クリスマスの時期は留学生メンツのパーティーに参加させて貰ったり、クリスマスのミサ行ったり。でも基本的にはずっとロビンの家で過ごさせて貰った。
寮を出る日、「クリスマスも寂しくないように!」とイヴァが薔薇の花とメイク用具をくれた。素敵すぎる。
そしてクリスマスの週。ロビンパパママは茶目っ気のある人で、私用にも靴下を用意してくれていた。クリスマスが近づくと、毎朝その靴下にお菓子や小さな小物が入っている。それを確認しに行くのが楽しみだった。さすがはロビン家、アーミーナイフもくれた。なんでだ。
クリスマスは基本家族で過ごす日なので、おうちで肉を焼いて静かなパーティー。私は日本茶をプレゼントして、ロビンママはふわふわのセーター、ロビンパパはアメリカ史の本をくれた。そして驚くことにロビンのおばあちゃんからもプレゼントがあって、手編みのマフラーだった。小さな手紙に「私を第三のおばあちゃんと思ってね」と書いてあって、泣きそうになってしまった。
ロビンの家族は人見知りな私を温かく受け入れてくれて、私が「アメリカらしい経験」をできるよう色々な所へ連れてってくれた。クリスマスの休暇でロビン一家ともなじめたような気がする。
旅好き且つ料理好きなロビン家は色んな国のスパイスや麺、米を持っていて、私が日本食をふるまおうとするといつも「さあ、この10種類の米から好きなのを選んで!」とか言われるのだが、日本人は米マスターではない。
【新学期】
春学期はじまる。
冬休みの旅行とかに関しては割愛。
春学期はSecond Language Acquisition、ESL&Bilingual/Bicultural Education、その他言語学の入門的な授業、マーケティングと写真の授業を取った。今回はレベルとか考えずに取ったのでめっちゃ難しかったが、その分ずっと面白くて激アツだった。特に前者二つ。
アメリカはバイリンガル教育に関して日本よりずっと進んでいるので、目から鱗落ちまくりである。多言語・多文化を尊重しようという流れの中、そのために教育者が何を知り、何を気にかけ、何を変えたら良いのか、それを色々な視点から学べた。
例えば、所謂「外国語を小さい子に教えるのは母語に悪影響なのでは?」というThreshold Hypothesisを割と信じ込んでいた自分としては、そこに切り込んだ論文を多く扱えてかなり見方が変わったように思う。英語教育に活かせる何かがつかめそうな気がした。
まあ論文私には難しすぎてしょっちゅうクラスメイトに「全然分かんなかったんだけどこれって〇〇ってこと!?」とか「意味分からん過ぎて読み終わらなかったんだけど何コレ!?」とか聞きまくり、友達は「多分そう!!いや私も分からんけど!!」とか「とりまココ読んどけ!!意味つかめるから!!」とか助けてくれてた。
このクラスはヒスパニック系の生徒が多くて、彼らが受けてきた英語教育についても色々話を聞けて興味深かった。
【眠くともパーリナイ!!】
ある日友人のでかいパーティーに行く。
この日は既に人と沢山話した日なので割と疲れてて、ひとしきり人と盛り上がったりゲームした後、眠くなってしまった。皆が踊り狂う中、睡魔と戦う大串。一人帰る訳にもいかず、とりあえずソファーに座り、音楽を聴きながら楽しんでるフリをして目をつぶっていた。
しかししばらくすると笑いながら友達二人がやってきて、「ワカナ…パーティーでうたた寝する人初めて見たよ…笑笑」と。普通にばれてた。
「私達これから帰るから、一緒に帰ろう」と誘ってくれて、無事寮まで帰りました。
あ、あとそういや、この頃合法的にアメリカで飲酒できる年齢になった。友人の家で宅飲みする時も堂々と飲める!やっほい。
St. Patrick's Dayってアイルランド系の祭日があると思うんだけど、ここの人はこの日みどりの服を着てバーへ行く習慣があって、普段は夜しか開いてないバーが早朝からやっている。合法的に酒が飲めるようになった大串は朝10時くらいに友人とちらっと行ったのだけど、これが最初で最後のバーだった笑。チキンなので夜は結局一度も行かなかったなあ。割とイメージしてた静かなバーとはちょっと違って、まあお店によるけど、どっちかっていうとクラブ?のイメージ?みたいな。感じだったと思う。
【ウィスコンシン州の本気。冬】
12月~2月にかけて、ウィスコンシンの本気が大串を襲う。
寒いどころの騒ぎではない。痛い。
体感気温マイナス25度の日なんかは、眼鏡をかけてるとマフラーからの熱でできた結露が秒で凍り、前が見えなくなる。でも何もしないで歩いてると寒さで目から涙が出てくる。校舎移動も寒すぎて、手先がいつもジンジンしていた。
ロビンに毎朝「寒くない!?ねえ寒すぎない!?」と訴えたが、「ハハハ、こんなん序の口よ」とか言うのだ。寒いんだってば!!
しかしながら、人間は慣れるのである。
そう、大串は最強になった。
短距離なら雪の降る中をビーサンで歩けるようになり、三月末の気候をタンクトップで外に出られる程にまでなったのである。
そんな大串を見てロビンは「ワカナもすっかりウィスコンシンの人間になったね」と謎に満足気であった。
【大串、自炊を始める】
春学期、スーパーへの行きづらさや寮のキッチン環境の不便さ等を承知した上で、ミールプランを止め自炊を決意する。どんなに不便であろうと、ミールプランのご飯を食べ続けるよりマシだし節約にもなる。
結果として、自炊初めてまっっじで良かった。
まず何より、美味しい。私アメリカに来たにも関わらず前期体重落ちたんだけど、自炊初めてから自分のご飯美味しくて太った。
次に、友達とご飯を食べる機会が増えた。何か日本ぽいものを作る度、食べに来ない?と友達に声をかける。牛丼作った時は「あ~~日本旅行した時に食べたすきやの味だあ~これこれ~!」!と喜んでる子がいた。日本に旅行来てすきや入ったんかい。
その後他の友達もお返しに何か作ってくれることが多くなって、お互いご飯をごちそうし合ってた。
そして更に楽しかったのは、院生の先輩たちで料理好きグループのごはん会に呼んで貰えるようになったこと。毎週金曜日の夜に、その日の担当の人がグループ全員に自分の手料理をふるまう。韓国人の先輩がチゲを作ってくれたり、アメリカ人の先輩がビーフシチューを作ってくれたり。楽しかったなあ。
【やっとできた親友】
後期になって、やっと心を許せる友達ができる。
春学期からの留学生で、インドネシア出身のイングリッドという女の子。マイペースで優しい、一個年上のお姉ちゃんみたいな感じだった。お互いそんなパリピではないので気が合い、よく一緒にいた。大串のことを「ワカ!」と呼ぶ。
歌うのが好きで、いつも突然歌い出す。ドラえもんのインドネシア語バージョンとか、JKT48の曲とかを歌ってくれて、可愛すぎて悶えた。インドネシア語をかじりかけの大串に色々教えてくれるんだけど、発音とか間違えると「It's not ”salamat”, It's ”selamat”, darling!」とか言うの。可愛すぎない?
コロナで学校が休校になってからは基本毎日イングリッドと一緒で、ご飯作ったり映画見たり誰もいないキャンパスのムービーを取ったりしてた。
どうでもいいけど、イングリッドの部屋(ルームメイト無し)に泊まりに行った時、彼女の新しいテディベアに二人で名前を付けた。WakanaとIngrridを組み合わせてWakgi。あだ名はクギ。
色んな相談にのってくれたり、逆に相談してくれたり。一緒にふざけたり、真面目な話をしたり。聡明な彼女は大串に色んなことを教えてくれたように思う。
今も仲良しだよ!
【友達が教えてくれたこと】
イングリッドだけに限らず、多くの友達が繰り返し大串に伝えてくれたことがある。
それは「自分のしてほしいこと、してほしくないこと、自分の望みは言わないとだめだよ」ということ。何度も何度も言われた。
「ここは日本じゃないよ、誰も察してなんてくれない。言わなくちゃ」
「ワカナは言わなすぎる。ずっと言わずにいて爆発するより、きちんとその度言う方がいいでしょ」
本当にそうだと思う。ため込んでからじゃ遅いのだ。でもこれが難しいんだなあ。割と自分は言う方だと思ってたけど。
でもこの友人たちが繰り返し教えてくれた「自分から伝えることの大切さ」を、今回少しは身につけられたと思う。
手始めに身近な所から。
ロビンは自分のムダ毛を全部我々の部屋(カーペット)で剃るのだが、私が掃除機かける時毛だらけになるのでシャワー室で剃って欲しいと交渉した。自分で買った食べ物はちゃんと責任もって腐らせないでほしい、そして腐らせた場合は自分で処理して欲しいということも伝えた。
また、他の友達にも不快なことは伝えるようにしたし、自分から何か主張したり希望したりもできるようになった。
ここの人間は言われれば分かってくれる。それがありがたかった。
そして日本に帰ってからも、たとえ目上の家族であっても、良くないと思うことは言えるようになった。個人的に割とこれは大きな進歩だ。
友達は時に大切なことを教えてくれる。最初は人間関係に苦労したが、素敵な友達を持ててよかったなと思った。
【混ぜ込みわかな】
ある日、混ぜ込みわかめシリーズの若菜ふりかけ(日本から持ってきた)を使っておにぎりを握っていた。
遊びに来た友達2人はそれを隣で見ていたのだが、何混ぜてるのと聞くので超テキトーに”dried spinach seasoning”と答える。
しかし今度はでっかく「若菜」と書かれたパッケージを指さし、「これなに?なんて読むの?」と聞いてきた。
「……わかな…」
と渋々答えると、案の定めっちゃ爆笑される。
「わかなってdried spinachって意味だったのwwwwwwお父さんお母さんはなんでdried spinachなんて名前つけたのwwwwww え、ちょっとそこ並んで、一緒に写真撮ってあげるwwww」みたいなことになった。
わかなはわかなでも違うわかなですぅ。
【3月某日】
さて、この頃からコロナ騒動で世間が不穏になってくる。
突然大学が休校になり、最終的に交換留学が終了する。
まだ半年ちょっとしかいない段階で留学が打ち切りになってしまったことは非常にきつかったが、春~夏の留学自体が中止になってしまった人も多い中、贅沢は言えない。無事に戻れたこと、オンラインでもアメリカの授業が受けられたことを嬉しく思う。
正直、毎日のように状況が変わる中、状況が逼迫したら一番に切り捨てられるであろうマイノリティであること、そして今回目の敵にされていたアジア人であること、両方を踏まえ、とても緊張していたと思う。
先輩たちがめまぐるしい状況の中、一生懸命政府からの情報を流してくれたサポーターや先生たちに心から感謝をしたい。
そろそろ大串も書きながら力尽きてきたので、最後に一つだけ、アメリカの政治に関して真面目な話をして終わろうと思う。
【北米におけるトランプの意味】
ある日、ロビンと少し政治の話になったことがある。
簡潔に言うと、まあ予想はしてたが彼女はトランプ支持者であった。
彼女がトランプをすごく褒めるので、「でも彼の発言は一国の指導者として過激すぎると思うし、人種や女性差別の問題発言やばくない?良くないスキャンダル多いし…」と言ったところ
「確かに激しい部分もあるけど、スキャンダルの根拠は?彼がrapistだとかliarだとかの証拠はあるの?全部メディアが勝手に煽ってるだけでしょ。そもそも政治は性格じゃないし、彼はオバマなんかより経営者としてのスキルがある。実際彼が就任してから景気も良くなってきてるし、大衆がオバマを批判しないのは人種差別主義者と呼ばれるのが怖いからなだけ。ワカナは何も知らないのにどうして彼の表面的な部分を見て批判できるの?」と。
言葉が出なかった。
いやなんかどう返したら良いのか分からなくて。正直彼女の言葉は信じちゃいない。しかし、彼女はある一点において完全に正しかった。私はトランプをちゃんと知らない。故に、何も彼女の考えに具体的に反駁する術を持たなかった。
トランプのことを、ここの人間のことを、もっと勉強しないと。
そう思い立って、日本人ジャーナリストから見た2016年大統領選の背景を記した「トランプ王国」という本を読み始める。
概要と自分なりの考察をここにまとめたいと思うが、既に把握してる人は読まなくて大丈夫。
そもそも前大統領選の決め手となったのは、所謂「ラストベルト」と呼ばれる五大湖周辺の工業地帯+エクストラの人間たちが民主党から共和党にひっくり返ったことが大きい。(郊外且つ酪農王国であるWhitewaterはラストベルトとは言い難いけど割と近め。)
ブルーカラー労働者やミドルクラスが集まるこの一帯はかつては製鉄業や製造業で栄えたものの、近年衰退化の一途をたどっている。正直大串はトランプ支持層が白人の貧困層が主だと思ってたけど、どちらかというと低所得層へ落ちたくないミドルクラスが多そうだった。
一世代前までの人々が信じ続けてきた所謂「アメリカンドリーム」が最早実現しないものとなり、かつての豊かな暮らしが終わるかもしれない、という不安が人々の間で蔓延する。そんな中で現れたのがトランプだ。かつて民主党支持者であった彼らが、突然現れた共和党候補トランプを選んだのは何故か。その理由をざっくり列挙しよう。
・言わずもがなだが、不法移民に対する不満。
不法移民が社会保障制度を利用し真面目に働いている人間から金を吸い上げている、或いは仕事を奪われている、という極端な認識が、トランプの「壁」への強い賛同理由だ。(実際の所、不法移民は消費税はもちろん半分は所得税も払っており、且つ給付金受取も期待できない中保険料も払っているという。社会保障庁の保険計理人曰くこの移民たちの支払いなしでは社会保障システムは慢性的予算不足になるらしい)
トランプは貿易交渉をやり直し、海外に流れた製造業を取り戻すことを公約としている。しかし2016年の時点で本来アメリカ景気は回復傾向にあり、失業率もかなり下がっていた。更に全体で見ると、自由貿易協定はむしろ協定国と比較して著しく輸出を促進させている。つまり全体的には成長していたアメリカ経済において、その恩恵を受けていない層がトランプのターゲットになったことが分かる。
・社会保障の保護。
巨額の富を既に築き選挙運動も自分の金で行うトランプは、特定業界からの影響がなく、周りに遠慮なく庶民のための改革もしやすい。したがって他が削減しようとしている「社会保障の維持」などの政策も可能。
・既得権層へのヘイト。
権力に居座り庶民を見下す「既得権層(エリート層)」をトランプ支持者は極端に嫌う。そんな中で、エリート代表とも言えるクリントンへの「傲慢」「金に汚い」といったイメージが定着するのは容易だった。
一方で全く正反対のトランプ。主張がストレートで、嫌味なく、度が過ぎるほどに正直であり、political correctnessで批判されることを恐れない、その性格が人気の理由だった。
この本の筆者は、トランプが経営先のホテル業者等との訴訟をいくつも抱え、一方でクリントンは大学院に在学時から貧困/人種問題に取り組み大統領選でも中間層の底上げおよび富裕層への増税といった再分配政策など具体的に動いていたことを示した上で、トランプが労働者のための大統領になるとは思えないと語っている。
・多様化が進むアメリカ社会への違和感。
スペイン語表記や話者の増加に不満を覚える人、移民達の権利主張に憤る人、大統領が黒人であることに不満がある人、イスラム教への偏見がある人。人々の潜在的な差別意識や偏見を抉り出し、声高に非難する、建前を一切無くした代弁者のようなトランプは、マジョリティにとって気持ち良い存在だったのだろう。
しかしその結果、特定の人種や宗教などへの憎悪犯罪が増加したという。まあそりゃそうだろって感じだが、時の権力者が特定の人やグループを非難すれば、彼等への攻撃は正当化されたも同然だ。
さて、まあこんな感じの内容や自分の体験等を踏まえ、
アメリカにおける「言論の自由」や「多様性の尊重」というものが段々消えてきているのを感じた。そしてグローバル化に伴う自分たちが担ってきた産業へのダメージと、白人ミドルクラスの「私達こそがアメリカ人」という潜在的な意識とが相まって、自分たちと違うコミュニティに対する攻撃的な考えになって来ているのかなと思った。
アメリカにおける経済格差問題は笑えない程に酷くなっているが、そうした状況が生んだアメリカの分断はクリントン/トランプという分かりやすい形で現れ、深刻化している。
正直、この本を読んでも最後までトランプ支持派の選択を100%非難することはできなかった。
根拠のない主張や嘘を除いて、トランプの提示した内容は彼らの層にとっては魅力的な内容だ。可能か不可能かではない。他の政治家に無視されてきた彼等の望む内容そのものを語り、政治家とは異なる「経営者」としての腕を持ち、他の権力に屈することのないトランプの発言。アウトサイダーとしての彼に「賭けてみよう」、そう考える人々の気持ちは理解できた。
それと同時に、彼らの多くが簡単に共和党へ寝返れたのは、トランプが迫害するどの人々にも当てはまらないある種の「特権層」であることの裏打ちなのでは?とも思った。
結局、どちらが良い悪いを決められるような内容ではなかった。そりゃそうだけど。
「かつての豊かだった自分の国」に執着し、現状を批判する。既得権層を批判する。現状の不満の矛先をいくつかのターゲットに絞り、共通の仮想敵を作ることで国民をまとめ上げようとする。多様化する社会の中、心のどこかで「自分たちこそが本来の〇〇人」だと思い込み、無意識に他を見下し、自分の優位を信じ込む。
どこかで聞いた話じゃないか?
こうした問題は日本にとって対岸の火事ではないと思う。
エリート主義への批判、政治家に対する「庶民の気持ちなど分からないだろ」という不満は日本にも存在する。今回のコロナの影響でそれは膨らんだようにも思う。そうした中でトランプのような代表が現れたとして、同じ道を辿らないとは言えない。
また、年齢高めの人で「かつての誇り高き日本像」を語る人をたまに見る。確かに昔はそうだったかもしれない。しかし今は違う。経済格差や雇用の問題は深刻だし、産業が海外に流れているものも多く、高度な技術は必ずしも日本の専売特許ではなくなってきている。そうした中で、かつての栄光に執着しているうちは、前進できない。
それから、日本には「外国人」、特に他アジア諸国からの人間への差別が確実に存在する。それはアメリカ史における人種のパワーダイナミクスとは異なるものだが、移住者や外国人労働者にとって、日本は北米のような国だ。確実に人種の多様化が進んでいる中で、それを認識できてない人間が多すぎる。
麻生太郎氏の「2000年間にわたって同じ民族が同じ言語で同じ一つの王朝を持ち続けている国は日本しかない」的内容の発言にはぶったまげたが、日本史において他民族の存在を無かったことにしちゃう程の人種的マジョリティの脅威性を、日本の侵略を、言語の同化政策を、無視する訳にはいかないのだ。
日本において人種問題なんて無縁だと思ってる人もいるだろう。しかし、単純に我々が人種的少数派の声を聞いていないだけなのだ。日本はこの現状で差別とかやってる暇ねえぞと思うし、そもそもまずは日本にそういう人種的パワーダイナミクスが存在してることを認識しないといけない。
個人的に多様性=柔軟性だと思っている。
今回のコロナ騒ぎで、潜在的にあった人種差別が色々な場所で顕現した。
多くのアジア人が世界中で攻撃された。差別を受けた。取ってた授業の教授が真っ先に心配してくれたのは私達アジア系学生の安全だった。
そして最近の黒人男性殺害事件に始まる一連の運動。
これら全てはアメリカの闇の部分をむき出しにした。
私達はアメリカにおけるアジア系マイノリティとして、日本におけるマジョリティとして、この問題を自分事として見るべきなんだろう。
逼迫した社会において寛容さは失われていく。社会的強者というのは想像力を欠きやすい。想像力とは寛容さでもある。
したがって今後、意識的に想像力を働かせ、意識的に人の声を聞くことが重要になってくると思う。
そのために自分は何ができるかな。
ここまで読んで下さった方、お疲れ様です。
今回の留学は、色々ありましたが、なんだかんだで頑張れたのは日本の友達や先輩後輩がたくさん支えてくれたおかげです。本当にありがとうございました。
皆のお土産買ってあるから、賞味期限切れないうちに会ってね!!!
おしまい。
写真もろもろ↓
敬語について
こんにちは、どうも大串です。
お元気ですか。
久しぶりに自分の考えてることを文章にしたくなったので、エッセイを書きました。
だいぶグダグダで長いですが、時間のある時にでも是非。
【敬語について、大串が思うこと。】
突然だが、皆さんは敬語の意味について考えたことはあるだろうか。
我々は大人になるに連れて少しずつ敬語を学んでいくわけだが、そもそもなぜ敬語を身に着けるのだろう、敬語って何なのだろう、敬語の必要性とはなんだろう、と考えたことがあるだろうか。
ここ最近、この問いが頭から離れない。
どうした大串、グレたのか?と思うかもしれないが、グレている訳ではない。安心してほしい。単に、今まで感じてきたことを徒然に書き連ねたくなっただけなのだ。
なので今回はちょっと「敬語」について語りたいと思う。
「敬語ってそんなに大切ですかね?」
仮に誰かがツイッターでこんな問いを投げたらどうなるか。おそらく多方面からバッシングを食らうことだろう。敬語は美しい日本の無形文化であり、上下関係や敬意を示す上で欠かせないものであり、秩序を保つのに不可欠なものなのだろう。しかし、多くの人がそう思うだろうからこそ敬語について今一度考え直してみたいのだ。敬語は社会に、人間関係に、必要なのだろうか。敬語が私達のコミュニケーションにおいて実際に果たしている役割はなんなのだろうか。
ちなみに、このエッセイは完全に大串の偏った考えなので、どうでもいいんじゃという人はここでやめとくことをオススメします。批判や指摘は全然かまいません。
人間を人間たらしめるものは何か、と聞かれれば、私は一番に「言葉」と答えると思う。かつて我々が二足歩行を可能にし、喉を発達させ、複雑な音を発することが出来るようになり、複雑なコミュニケーションがとれるようになった結果手に入れたのは、言葉という非常に高度で便利な道具であった。
言葉は道具に過ぎない。しかし同時に、言葉と人間の思考は紙一重であり、言葉は我々人間と相互に影響し合っていると考えることもできる。
言語人類学者のエド ワード・サピア(Edward Sapir, 1884-1939)と言語学者ベンジャミン・リー・ウォーフ(Benjamin Lee Whorf, 1897-1941)の言語相対性仮説によれば、私たちの言語は私たちの世界観の形成に大きな影響を与えているという。社会に生まれ落ちた瞬間から私たちは母語に囲まれているわけであり、私たちは言語に沿ってものごとを考えるようになるのである。私たちは考えていることを言葉で表現し、言葉で伝え合う以上、思考をかたちづくるのは言語なのだという考えも存在する。それほどに、言語と人間の思考の関連は深い。
例を挙げてみよう。例えば中国語(マンダリン)には、親戚の「おじさん」を指す言葉が沢山存在する。一言に「おじさん」といっても父方か母方か、或いは血縁関係があるか結婚による繋がりか、年下か年上か、でそれぞれ呼称が異なるのだ。すなわち、相手がどういった繋がりか分かっていないと相手のことを呼ぶことができない。こうした言葉は血縁関係やその上下関係を重視する文化の中で生まれたのだろうが、そうした言葉の中に抱かれて育つ子供たちは、再び言葉を媒介としてその文化を、その世界観を学んでいく。
日本における敬語はどうだろうか。
私たちは大人になるにしたがって少しずつ敬語を身に着けていく。上下関係を重視する文化の中に生まれ、親や教師、先輩、上司、様々な人から敬語を教わっていく。敬意の有無など関係なしに、ほとんどの人が敬語を身に着けていく。そして敬語を媒介にして、「目上の人間を敬う文化」を学んでいく。その繰り返し。
しかし、大串が違和感を覚えるのはこの部分だ。「敬意の有無など関係なしに」という部分。
というのも、現代において、自分が無意識に敬語から取り込んだ「目上の人を敬う文化」と、自分の目上の人に対して抱く意識との間に、乖離が存在していやしないか?と思うからだ。
訳もわからずとりあえず敬語を使っている人間はどのくらいいるだろう。なんでこんな人に敬語を使わないといけないんだろう、と思ったことのある人はどのくらいいるだろう。仕事で、バイトで、何らかの団体で、それに値しない相手へ敬語を求められた人は一体どのくらいいるんだろう。
マナーとしての敬語から生まれた見せかけの敬意ではなく、敬意から生まれた敬語がこの世にどれだけあるのだろう。
かつては、上下関係における意識は今よりもずっと濃かったのだと思う。蔓延る家父長制の中で、家族内においても、社会においても、上の立場の人間に対する認識はもっと厳格だったのだろう。目上の人間に敬意を払うことに対して疑問を抱くことすらなかったかもしれない。
しかし今はどうだろうか。
当然、本当の敬意を示すために使われている場合も沢山ある。しかし、時代を経て人間関係が多様化し、厳格な上下関係が薄れてきた今、そうでない場合が多すぎるのでは?と思うのだ。
一言でいえば、敬語の形骸化が起きてはいないか。
現代社会において敬語は、本来の働きを果たしていないのではないか。
そして、私たちは形だけの敬語を通して敬意を無理やり抱かされてはいないだろうか。現代における比較的自由な人間関係と、敬語という媒体によって踏襲された形式的文化との乖離が、敬語への違和感、不快感の正体なのかもしれない。この形式上の敬意が我々を解放しない限り、日本社会にこびりついた融通の利かない上下社会はなくならないのでは?とさえ思えてくる。
いやいや、落ち着け大串、なんでそこまで敬語を毛嫌いするんだ、と突っ込みたくなるかもしれない。
しかし、言葉はただの道具にすぎずとも、最初に述べたように言葉は私たちの思考と深く影響し合っている。たかが言葉、と高を括ってはならないと思うのだ。現代社会におけるクリティカルな思考が、柔軟な人間関係が、敬語によって妨げられている気がしてならない。
さて、ここで一度敬語の本質について触れておきたい。
先ほど形骸化という表現を使ったが、今の敬語はどのような状態にあるのか。現在敬語の本来内包すべき「敬意」が薄らいできているにも関わらず、いまだ形式上の文化が敬語を介して踏襲され、我々の思考に影響を与えているのはなぜか。
それは、その構造的基盤が「距離」にあるからだと考える。
日本語で言えば、謙譲語は自分を相手より下げ、尊敬語は相手を自分より上げることで、相手と自分との間に「距離」をおく。丁寧語は表現に一つクッションを入れることで一歩距離を置く。
他の言語だったらどうだろう。たとえば英語を見てみると、時制を過去に持ってくることで時制において現在から距離をおいたり、仮定法を用いることで現実から距離をおく。
このように形は様々だが、敬語のキーは「距離」なんじゃないだろうか。
敬語は本来、相手を高い立場に感じさせることも、単純に遠くに感じさせることもできる。別の言い方をすれば、上下方向と前後方向の両方、すなわち対角線上に距離をおく。
しかし敬語の形骸化において、この対角線的な「距離」のおきかたが変化していると推測する。三次元的な距離が、二次元的距離になってきているのではないか。適切な言葉が見つからなかったので図解するが、伴う敬意が薄れるにつれて、角度がどんどん開いていっている気がする。要は、距離があいているだけになってるってことだ。
あくまでも大串の考察にすぎないが、たとえ本来伴うべき「敬意」が薄らいでいても、構造基盤としてこの距離が存在する以上、敬語は精神的距離に、思考に、影響してしまうのではないか。この言語構造的距離が、知らず知らずのうちに我々を生きづらくしているんじゃないかなと思った。
もちろん、敬語自体が悪いのではない。美しい言葉は素敵だと思う。しかし、敬語の絶対視、マナーという名の強制がよくないのだ。
最後に、「正しい敬語」について話したい。ここまで読んだ方はとっくにお分かりと思うが、大串は日本中に溢れた「目上の人にはとにかく敬語を使おう」のマインドに正直なところ辟易してしまっている。なぜか?それは敬語が日本の社会を生きづらくしているからだけではない。
それは、所謂「目上の人」の立場にいる人間たちの考える「敬語」が、はっきりしていないからなのだ。
ここで問題になってくるのが、「正しい敬語とは何か」ということである。
よく電車の広告やウェブサイトなどに載っている「正しい敬語表現はどっち?」というクイズや、「その表現、実は間違ってるかも!」というような記事を見たことがある人はどのくらいいるだろうか。なぜ正しい敬語を教える本が嫌というほどあるのだろうか。バイト先で、インターン先で、勤務先で、「その言い方は間違ってるぞ」と注意された人はどのくらいいるだろうか。
姉が大学時代よく、バイトで文法的に正しくない敬語を使うよう指示されて混乱していたことを覚えている。またこの前も「勤務先で販売会社の部長に“○○様”ってメール出したら“部長様だろう、教育がなってない”って怒られたんだけど!二重敬語じゃないの!?」と混乱していたし、親は「敬語の使い方を間違えて逆に失礼になってる人いっぱいいるんだよな、洗練されてないオヤジが多い」とこぼしていた。
話し言葉は書き言葉に比べて変化が速い。そして今、敬語は話し言葉において多様化してきていると感じる。つまり、文法的正しさは敬語にとって最早関係なくなってきているのである。
「その人にとって敬意を払われてると感じる言葉」が敬語なのである。
無茶な話である。ここまで敬語を重視する社会でありながら、敬語に対する認識がはっきりしていない。使っている側も、使われている側も。
それってもはや、敬語として機能しているか?と思ってしまう。
極端に言ってしまえば、スタンダードな敬語というものはもう存在しない。それぞれにとっての敬語は細かく異なるのだ。どこからが敬語で、どれが敬語でないのかは人によって違うのだ。
なら?そもそも正解が存在・機能していないのならば、なぜそこまで形骸化した敬語にこだわる必要がある?
がっつり大串の過激思想になるのでご容赦願いたいが、敬語を重んじる文化なんてなくしてしまえばいいんじゃないか???とさえ思う。害しかなくない???
敬語を媒介に距離(=形式的な上下関係)が生まれて、やりづらくて不自由で、しかも人によって認識も違うなんて、面倒すぎじゃない?
丁寧語はまだわかる。初めて会った人とか、馴れ馴れしくならないようある程度適切な距離を置くために必要だと思う。でも、その他の細かいルールいる?????
え、いる?????
敬語は本来、敬意から来るべきだ。人間が誰かに敬意を抱いたとき、自然と敬意は現れてくる。もともとそうやって敬語も生まれてきたはずだ。敬意が現れる先が言葉なのか、態度なのか、それは人によって異なると思う。しかしどちらにせよ、敬意は形式上獲得するものではなく、敬意から何か表現が生まれてくるべきなのだ。
本来の機能を、本質を、大きく違えてしまったものに価値はないと大串は思う。大串は美しい言葉遣いを心の底から大切だと思うが、それはあくまで実質を伴っているものでないといけないのだ。
以上が大串の頭の中だが、だいぶ過激で申し訳ないし、ほぼ不可能であることを承知しているが、それでも、盲目的に敬語を重視する文化を一度否定したかった。考え直す、という作業をしておきたかったのだ。
だいぶごちゃごちゃした内容になってしまったが、もし何か矛盾している部分や意見があれば何でも言って貰えると嬉しい。
まとめとして、坂口安吾の「日本文化私観」の最終章「四 美に就て」より、ひとつ引用を載せたいと思う。少し文脈は違うが、今回書いたことに重なる部分があるので良かったら。
“見たところのスマートだけでは、真に美なる物とはなり得ない。すべては、実質の問題だ。美しさのための美しさは素直でなく、結局、本当の物ではないのである。要するに、空虚なのだ。そうして、空虚なものは、その真実のものによって人を打つことは決してなく、詮ずるところ、有っても無くても構わない代物である。法隆寺も平等院も焼けてしまって一向に困らぬ。必要ならば、法隆寺をとりこわして停車場をつくるがいい。我が民族の光輝ある文化や伝統は、そのことによって決して亡びはしないのである。武蔵野の静かな落日はなくなったが累々たるバラックの屋根に夕陽が落ち、埃のために晴れた日も曇り、月夜の景観に代ってネオン・サインが光っている。ここに我々の実際の生活が魂を下している限り、これが美しくなくて、何であろうか。見給え、空には飛行機がとび、海には鋼鉄が走り、高架線を電車が轟々と駈けて行く。我々の生活が健康である限り、西洋風の安直なバラックを模倣して得々としても、我々の文化は健康だ。我々の伝統も健康だ。必要ならば公園をひっくり返して菜園にせよ。それが真に必要ならば、必ずそこにも真の美が生れる。そこに真実の生活があるからだ。”(「坂口安吾全集14」ちくま文庫、筑摩書房)
【おまけ】
大串にとっての敬語、言葉遣い
大串はなぜそこまで言葉にこだわるの?
と思う人がいるかもしれないので、大串にとっての敬語はどんなものなのか、おまけとしてちょっと昔話を書いておこうと思う。もう既に相当長いので、読まなくて全然大丈夫です。
むかしむかしあるところに、大串という子供がいた。
大串にとって、敬語はものごころついた頃からすぐ側にあった。たまたま家のルールとして、目上の人間に対して敬語が必須だったからである。姉さん以外、両親や叔父叔母、従兄弟にも(従兄弟の中でも大串は末っ子だったので)敬語で話さねばならなかった。また祖父母に対してはワンランク上の敬語を使った。
いわゆる丁寧語、語尾はそんなに難しくなかったと思う。ただ苦労したのは尊敬語、謙譲語だ。昔はどれが謙譲語でどれが尊敬語か、なんて気にしたことはなかったが。
気持ちが高ぶると良く忘れてしまうのがこの二つである。
小さい頃、「今日早く帰って来るんですか!」とはしゃぎ、「帰って“くる”?違うでしょ」と叱られては「帰ってらっしゃるんですか!」と慌てて言い直す。こんなことがしょっちゅう起きる。
嬉しかった出来事を話そうとする時、出だしの言葉が乱れていると「待って、その話をする前にここの言葉遣いを直して」と指摘された箇所を言い直さなくちゃいけなくて、なかなか本題に入れなかったり。子供心としては、そんなことより話を聞いてー!という感じであった。
余談だが、初めて崖の上のポニョを見た時にそうすけがリサのことを呼び捨てにしているのを見て、「扶養者に対してそんな言葉遣い?いや待てよ姉か?姉なのか?姉ならセーフか?」みたいな感じでそうすけの態度ばかり気になって本編に集中できなかったことがある。
まあ当時の大串は真面目な子供だったので、時間をかけつつもこうして習得していったのであった。
しかししばらくして、更なる壁がやってくる。
どどん。
「女性らしい言葉遣い」である。
いわゆる、「~かしら」「~よ」「~だわ」の類い。
これを最初に求められた時のことははっきり覚えている。
この日は大串が1人死んだ日だからだ。
「え、今21世紀なんですが?」というのが正直な所の感想だった。フィクションでもなければ昭和の家庭でもなく、どこぞの社長令嬢でもないんだぞ??マジで言ってる?????????
日常と合わなすぎん?????というツッコミがまず頭を駆け巡った。
それまでずっと「女性らしく、お行儀よく」ということは再三言われて来たが、言葉だけは自由であって欲しかったのだ。
セクシュアリティが明確でなかった自分にとって、多分この日が「女性化」された日なんだろうと思う。どこかで大切な部分が死んだような感覚が確かにあった。
ジェンダーは環境によっても決まるって本当なんだなあ、と今思う。
そして月日が流れ、敬語にも女らしい言葉遣いにも慣れた。ごくごく自然に、「〇〇を差し上げたのだけど、喜んで頂けて良かったわ」「〇〇のお召しになっていたお洋服、ご覧になりました?」というようなやばい台詞が出てくるようになったのである。
学校と家とで言葉遣いを使い分けるのがかなり大変だった。大串が親族の前で「〇〇だわ!」とか言ってるのを想像してみて欲しい。鳥肌ものである。やっぱり想像しないで欲しい。
こうして得られた言葉遣いの弊害は大きかった。まだ何も気にせず小さかった頃、祖母と話すのが大好きだった。しかし、言葉遣いを気にし始めて以来、少しずつ、まったく気づかないうちに、祖母との間に距離が生まれていった。昔のように自由に話せなくなった。遠い人のように感じた。3年前母方の祖母が亡くなった時、偉い人が亡くなった時のような、不思議な感覚だった。
いつだって敬語は溝を作ってきた。友達の話を聞いていたって、漫画を読んでいたって、ドラマを見ていたって、誰も自分のような感じで親と話している人は中々いなかったから、羨ましかった。
ただ、姉は私と少し違った。私と違って甘え上手で、なぜか敬語や礼儀にあまり気を遣わずとも許されていた。姉さんは敬語も全然徹底していないのに看過されていて、そして何より祖母を始めとした目上の家族にも本当に可愛がられていた。なんでやねん腹立つわ~と思っていた。姉のように振る舞いたくて、姉の祖父母や父親との話し方を必死に研究したところ、敬語とタメ語をうまく混ぜ込んで、失礼の無い程度にラフに話すのが大事なのだと分かった。そしてそれを真似しようと、今までずっと努力してきた。虚しい話である。
その後もうひとりの祖母とは、一生懸命言葉の距離を作るまいと心掛けた。彼女がこの前亡くなった時、しっかりと悲しい感覚があった。立ち直れない程に、本当に本当に悲しかった。しかし同時にその感覚を嬉しく思えたのだ。だってそれは、私が祖母に近づけていた証拠だから。本当に悲しくて、嬉しかったのだ。
少々脱線したが、話に戻ろう。
受験期、一度親に交渉を試みた。
学校や受験や人間関係のストレスを抱える中で、いちいち言葉遣いを気にしている余裕がなかったからである。愚痴をこぼした瞬間言葉遣いを直される身にもなってみてほしい。たまったもんじゃない。そもそもどうやって敬語で愚痴を言うんだ?
そして敬語のルールがあるうちは、親に対して思っていることを話しづらかった。思春期の大串にとって、相談ごとができる相手は親ではなかった。小さい頃敬語が乱れる度に言われた「親は友達じゃない」という言葉が頭の隅にあって、どこか距離があったから。
そんなこんなで高3の始め、思い切って親に交渉を図った。
最終的にルールを緩めてもらった。
そして、それ以降だいぶ親との距離は縮まったように感じる。
今思うと、他のことに時間使えばよかったな笑、という感じだ。どんだけ言葉にこだわっとんねん、と自分に言いたい。多分神経質すぎるんだと思う。ほんとに。
叩き込まれた敬語が役に立たなかったと言えば嘘になる。目上の人とのコミュニケーションで困ったことはあまりないし、受験のとき古典の敬語表現ではそんなに苦労しなかった。しかし、大串が敬語に影響を受けた他人との距離感や思考回路は、正直良いものばかりではなかった。
何度も言うように、美しい言葉遣いは素敵なものだ。しかし、現代社会においてそれは誰かに強制されるべきものではないと思う。
母は何度も言った。「言葉遣いは財産なのよ。私たち親が子供に残せるものは限られているからこそ、目に見えない財産をあげたいの。美しい言葉は一生ものだからね」
その思いに心の底から感謝はしている。母から今まで色々と授けてもらった中で、かけがえのないものの一つだと言える。すごく大切なことだとも思う。
しかし実際のところ、大串にとって敬語は財産であり、一生ものの枷であった。
言葉は自由であって欲しかったのだ。
だからこそ、大串は言葉への執着がすごいのだ。
小さい頃からずっとずっと、言葉のことを考えて生きてきたのだ。
敬語への恨みは、どうやって果たしたらいんだろなあ。
おしまい。